カラスっぽいブログ

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タグ:遠藤周作



「悪魔」というのは通常実体を持ったものとしてイメージされる事が多い、しかし、この作品の悪魔観は一般的なそれとは違う。

「そう、悪魔は埃に似ています。部屋のなかの埃には私たちはよほど注意しないと絶対に気がつきません。埃は目だたず、わからぬように部屋に溜っていきます。目だたず、わからぬように……目だたず、わからぬように……。悪魔もまたそうです。」(P9)

「まるで埃のように」、これは人間の悪意と言い換えてもそんなに間違ってはいないだろう。
一応ミステリ作品ではあるものの、ミステリという皮を被った他の何かだと思えてしまうのは、おそらく、この作品が悪魔について書かれた小説だからだろう。



ミステリ作品は通常、誰が犯人かという謎が物語を牽引する、この作品も例外ではない。
4人の女医のうち誰が「悪魔」なのか、というのがこの作品における「謎」であり、その謎が読者の興味を繋ぎ、推理させ、物語を牽引し、ページをめくらせる。
読んでいて奇妙に感じてしまうのは、4人の女医のキャラ分けがいまいちできていないというか、見分けにくいところだ。
ある程度個性が設定されてはいるものの、骨はあるけど肉付けに乏しいという感じで、いまいち印象に残らない。
ただ、これも最後まで読むと、きちんとした伏線だったのだなと気づく。

犯人は意外な人物でならなければならない、これはミステリの鉄則だ。
意外な人物でなければ驚きも存在せず、驚きの存在しないミステリなど、果たして何の価値があるのか、という事になってしまう。
そういう意味では、この作品の真犯人に対して意外性を感じることはなく、ミステリとしてはどうかという感想が出てくるのも無理ないことだろう、しかし、自分としてはむしろ、驚きがない事自体が驚きである、と言いたい。
どういうことか。

なぜ真犯人が明かされても驚きがないのか?
それは意外性がないからだ、そしてなぜ意外性がないかといえばそれは、彼女がいかにも犯罪を犯しそうだからではない、4人のうち誰が犯人であっても違和感はないから、だからこそ驚きがないわけだ。
驚きがない事が驚きというのはつまり、心優しい女医たちのうち誰が犯人であっても、一向に違和感がないと思っている自分自身に気づいてしまうという事だ。
だからこそ、この作品には驚きがある、と主張したい。
いつの間にやら、女医の誰が悪魔であろうとおかしくないと、読者に思わせてしまうからだ。



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タイトルどおりマリー・アントワネットを主人公にフランス革命を描いた歴史小説。
アントワネットと王家の運命を縦軸に、サド侯爵や、オリジナルキャラのマルグリッド、暗殺者のシャルロットコルデー、処刑人サムソンなどが登場するが、そういったキャラクターの「出演」が無理なく本筋に絡めてあり、自然に読み通すことができる。

とにかく、普通に面白かった。外国の歴史を題材にした作品なので、ものめずらしさや、はじめて知る史実であるが故の面白さ、という部分もあったかもしれないが。
読みやすさわかりやすさという点について言えば、かなり高い評価を下すことができる。
やはり、作者が日本人という事もあって、日本人向けにわかりやすく書いており、つまるような場面はない。
外国を舞台にした歴史小説と言うと、少しばかり気後れしてしまうかもしれないが、フランス革命という史実を知るに当たって、手ごろで読みやすく、そして面白い小説であり、歴史を知るために小説を読むという層に対しても、遠慮なく勧めることができる。


もちろん主人公はマリー・アントワネットなわけだが、彼女の輿入れから始まり、基本的には彼女中心の物語展開であり、一人の人間の人生を追っかけてゆくという感じなので、複雑さはなく、読みやすい。
フランス革命というものを彼女を取囲む現象として描いており、この小説の副題に、彼女から見たフランス革命、とつけても良いくらいだ。
と、言うのは、中盤以降から、彼女はフランス革命という現象に本格的に巻き込まれてゆくことになるのだが、一読者の印象としては、それが少しばかり唐突というか、気がついたら国民の反感を買っていて、いつの間にか包囲されていた、という感じだったりするのだ。
つまりは、アントワネットの主観と、読者の印象がシンクロする構成になっており、これは計算したものなのかどうかはわからないが、よい効果をもたらしている。

それだけでなく、先にも述べたように、サド侯爵やシャルロットコルデーなどといった脇役が、本筋に無理なく絡む事によって、本筋に彩りを与えており、物語を単調さから救っている。
とにかく、普通に面白かった、良い小説だった。
外国の歴史をてっとりばやく知りたいという欲求に答えてくれるだけでなく、小説としても普通に面白いというのが素晴らしい。
もしかしたら、フランス革命に詳しい人間ならば、いくつかつっこみどころを見つけて冷めてしまうかもしれないが、自分のように、さして詳しくない人間の場合、そういったこともなく普通に楽しめる。
多分だけど、初心者向けの本だと思う、あまり知識がないほうが、楽しめるのかもしれない。
というわけで、フランス革命に興味があって、手ごろな歴史小説を読みたいって思っている人には、手放しで勧めることができる。

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一応歴史小説の範疇にギリギリはいると思われるが…、解説によると史伝らしい。

小西行長という一人の武将を、想像力をつかって描くというよりも、彼はいったいどんな人間であったかという実像に迫るという感じで、映像作品で言えば映画やドラマよりもドキュメンタリーよりの作品だ。
とっつきはやや悪く、小説のような読みやすさはさすがにないが、資料を引用しつつ、じわじわと小西行長の真相に迫るその手腕は、誠実さを感じる。
また、史観というと大げさかもしれないが、作者独自の視点も光っており、そういったところも読みどころだろう。
歴史小説というよりは、エンタメ度の高い歴史書という感じで、確かにややかたい本ではあるけれど、決して読みにくいという事はなく、小西行長と朝鮮出兵に興味があるのならば、一読して損は無いだろう。

そう、この本の主題は朝鮮出兵である。見ようによっては、小西行長という人物を通して描かれた朝鮮出兵の本といっても決して間違ってはいない。
全体の叙述の割合からしてそうだ。
小西行長が出世する、いわば人生の前半期に当たる描写は全体の約三分の一であり、本の大部分は朝鮮出兵それも、文禄の役が占める。
文禄の役における小西行長といえば、その謎めいた行動、太閤に対する大胆な裏切りが有名だ。
謎は二つある、ひとつはなぜああも大胆な行動を取れたのか、もう一つは露見した際になぜ彼は無事だったのか。
この二つの答は、作中において非常に説得力のある答が提示されているので、興味のある人は呼んでほしい。

さて、作者は行長を面従腹背の人として書く。
あらゆる場所であらゆる場合に板ばさみにあってしまう不幸な人、として描いており、高山右近のような颯爽とした振る舞いができない弱い人としても描いている。
従って、というわけでもないが、人物に対しいまいち魅力を感じなかった。
高山右近のようなさっぱりした人物のほうが格好いいんだよね、その点行長はいまいち小物というか、あんま格好良くない。
へたに美化せずに史実を追求するという姿勢なのだから、当然といえば当然なのかもしれないがやはり、行長に対してあまり魅力を感じなかったおかげで、読後感はやや微妙だったりする。
決してつまらなくは無かったし、いくつか光る部分もあった。
例えば中盤、行長がとあるシーンで「泣く」んだけど、これはとても心に残るシーンだし、終盤においても、行長の努力が大地震で瓦解してしまうという場面があって、歴史というものの持つ面白さを味わう事ができた。
ただ、行長個人に対して魅力を感じたり興味を持ったりするという事はなく、はっきりいって、なんかさえない中年男だなあ、ぐらいにしか思わなかった。

もっとも、これはただたんに相性や好みの問題かも知れず、この作品そのものに欠点を感じるというよりも、俺にとって行長は魅力を感じないキャラだ、という事に過ぎない。従って、小西行長について知りたいとか、そもそも行長が好きだ、といった人には安心してお勧めできる。
ただ、どうしてもひとつツッコんでおきたいのは、作者がキリシタンなおかげで、やっぱり神って偉大ですねめでたしめでたし、みたいな感じの終わり方で、なんとももやもやしてしまったところ。
一人の人間の人生や苦労を、神やら何やらを持ってきてスパッと解釈してしまうという姿勢は、宗教家としては正しいのかもしれないが、信仰に無縁な一般人としては、それでいいの?って思ってしまう。
そんな簡単に解釈されたらたまったもんじゃねぇよ、って思ったりするんだけど…、まあこの場合は行長自身がキリシタンだから、いいのかな。
そんなこんなで、悪くない本なんだけど、ちょこっとだけ目につく宗教臭がやや鼻に付いたかなって感じ。


知人に小西行長がいたら大変だよね、という件
遠藤周作『鉄の首枷』の小西行長の裏切る人の心理



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大友宗麟というと、大砲スキルを持った九州のハゲというイメージくらいしかないのではないか。
戦国時代における武将としてはややマイナーだし、そもそも名前すら知らないという人もいると思う。
これは戦国時代におけるキリシタン大名大友宗麟の生涯を、キリシタン作家が書いた歴史小説である。
で、これは当然のことながら、「宗教」という要素が、どうしたって目につく作品である。
キリシタンがキリシタンを書いたのだから当たり前といえば当たり前だが、そういった歴史小説らしからぬ宗教問答が挟まれているのが、この作品の独自の魅力といえば言えるのかもしれない。

普通歴史小説と言うと、政治・経済・軍事といった天下国家を直接動かすような話題が中心になりがちだ。
なにしろ「歴史」小説なのだから当たり前といえば当たり前で、個人の心を救済する「宗教」が中心になったら、それはもはや別の小説だとつっこまれてしまう可能性が高い。
この作品は、宗教という題材を適度に扱いながらもきちんと歴史小説しているのが、なかなかよいバランスだと思う。
それというのも、この大友宗麟という男の宗教に対する態度が、間接的ではあるにしろ、国の対内政策対外政策に反映してしまうからだろう。
つまり、一個人の内面の問題が、外面の問題として反映するという構造になっており、作者が上手いというよりも、大友宗麟という題材を扱った以上、必然的にそうならざるを得ないのだと思われる。
その上、作者はガチのキリシタンなわけで、題材と作者の相性はぴったりだ。

作者は宗麟を迷う人として描いている。
よく言えばそれは、内面の問題に対して誠実だからということが出来る、しかし、悪く言えば、ただのめんどくさい男である。
おそらくは、戦国武将として生まれたのがよくなかったのかもしれない、作者は、宗麟を不安定な武将として描いている。
ある時期においては頼もしく頼りになるお屋形だが、意気が挫けるととたんに弱気になりしぼんでしまう、そういった心の弱さが描かれており、一人の戦国武将としてよりも、ひとりの弱い人間として描くのが作者の狙いだったかのようにさえ思える。
そんな宗麟の心を震わせるのが宗教である、中でもキリスト教である。
その、宗麟のキリスト教に対する接近の仕方というのも、生ぬるいというか中途半端というか、劇的な要素があまりないので、いまいち絵にならないきらいがある。
実際、作中で宣教師から「熱くもなく冷たくもない、ただ生ぬるい」(新潮文庫 上 P231)と評されてしまったりする。

そういった宗麟の人としての弱さのようなものが、もしこの小説の主題であるならば、確かにこの作品はその主題をきちんと展開できていると思う。
ただ、それが小説としての面白さや楽しさに直接つながっていたかというと、それは別問題で、きちんと作者の思い描く宗麟像を描けていたのだけろうけれど、それが小説としての面白さに直接寄与していないという残念な感じがある。
特に気になったのが、作中に占める宗教関係の話題の割合で、全体の二割くらいという中途半端さ加減は、不満を感じた。
どうせならもう少し、宗教関係のウエイトを増やして、宣教師との問答もページ数を増やし厚みのあるものにして欲しかった。
もう少し、宗教という要素を暴走させてもよかったんじゃないの?って気がする。
この作品そのものが宗麟と同じく生ぬるい感じで、決して悪くはないけれど、かといってすごくよくもないという微妙な感想になってしまう。
いやだからといって決して、読んで損をしたというわけではないんだけど、期待していたのよりはやや下かなあ…と。
同じ宗麟を扱った小説なら、白石一郎の火炎城のほうがよかった、上だった。
あの作品はこれと違い熱い作品で、終わり方もしゃっきりしていて読後感もよく、よい小説を読んだなという余韻に浸ることができた。
なので、宗麟を読みたいなら白石一郎のほうがお勧めなんだけど………、この作品もこの作品で決して悪くはないのでそこそこお勧めする。
ただ、宗教問答とかに期待すると、あれっこれだけ?ってなるかもなので、あんま過度な期待はしないほうがよいと思う。



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王の挽歌(上)  王の挽歌(上)
王の挽歌(下)  王の挽歌(下)
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キリスト教にこだわっている作家の書いた歴史小説という事で、キリシタン臭が強いかと思えば、そんなことはなかった。
思ったより宗教色は弱く、普通に歴史小説として読めるし、晦渋ということもない。
すらすらと、あまりつっかかることなく読むことができ、読みやすさという点から言えば、充分合格。
下から目線で描かれた信長像と、自身の弱さに思い悩む戦国武将たちという、少しばかり風変わりな歴史物語を楽しむ事ができる。

下から目線と書いたが、この作品の主人公は信長であって信長にあらず、
信長に反逆し、あるいは反逆することさえできなかったような、弱い人々こそが、真の主人公である。
信長に対して「反逆」した人物といえば、光秀がいちばん有名だが、この作品は光秀だけではなく、
他の「反逆」者(荒木村重とか)や、結局信長に対して「反逆」することができなかった人間をも描いている。
信長という存在を直接描くのではなく、周囲の人間の視線から間接的に描くという手法であり、
信長自信は決して主人公ではないながらも、全てに覆いかぶさる巨大な影のような存在として、描かれている。
下から目線とは、要するに部下の目線、あるいは弱者の視点から描いたという事で、ここがこの作品の一番面白いポイントであり、独自性だろう。

中でも、もっとも印象に残ったのがキリシタン大名の高山右近だ。
高山右近というと自分の中では、アニメ『へうげもの』で三木眞一郎が演じてた役という印象くらいしかない。
はっきりいって、豊臣系のキリシタン武将という知識くらいしかなく、どんな人物か、などというのは知識どころか興味さえわかなかった。
しかし、この作品で描かれる右近は非常に興味深い。
キリシタン作家だからこそかもしれないこだわりと、そして、温かみのある視線と興味をそそいでおり、右近に対する興味が湧いたし、もし右近を主人公にした歴史小説があれば、読んでもいいかな、と思うようになった。

とにかくこの作品は、基本的に弱者を描いている作品である。
それも、経済的政治的な弱者というよりも、心が弱い人間を描いた、という感じ。
そういった弱い人間の生き様を描いた作品であり、作者の目の付け所がユニークで、そこが面白かった。
村重、光秀、右近、などなど、色々な弱い人間が登場するけれど、ひとりくらいは共感できたり、興味を持つ事のできるキャラクターに出会えるかもしれない。
皆同じではなく、色々なタイプの弱い人間が描かれており、それらを比べて考えるのも面白いと思う。
ただ、信長が好きな人にとってはヘイトのたまる小説かもしれない。
なにしろ、信長の持つプラス面はほとんど描写されず、魔王としての側面ばかりが描かれるから、一般的な信長像とはややずれるものがある。
そういった点が、信長好きにとっては、読んでいてつらいものを感じるかも知れないが、こういった信長像もそれはそれで真実味のあるものであり、一読に値すると思う。


むしろこの作品で描かれた信長像の方がピタリとくるという人の感想
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