マキャベリと言うと権謀術数みたいなイメージがあって、目的のためには手段を選ばぬ的な、暗いイメージが付きまとう。
要するにオーベルシュタインのようなタイプのキャラクターが、いわゆるマキャベリストなどと呼ばれるもので、それに付きまとうイメージは、物事の裏面を担当する、手を汚す事をためらわないという感じのイメージだ。
つまりは、マキャベリは一つの思想として受け入れられている、政治をおこなううえでは、あらゆる権謀術策を尽くせという教えとして。
世の中はこうなっているもの、と説明するのが科学で、
人はこうすべきと教えるのが思想ならば、
大部分の人間は、マキャベリは思想家であると答えるだろう。
それも、みもふたもなく実用一点張りのあぶない思想家として。

しかし、この書物を読むと、マキャベリに対するそういったイメージは一転する。
マキャベリは、確かに思想家かもしれないが、それ以前に科学者なのだ。
人間や政治という、実験室で検証することはできない題材を扱っているが、彼の視線は確かに科学者のそれ。
人間とはこういうもの、政治とはこういうもの、例えば、水が百度になると蒸発するという真理を語るのと同じ口調で、彼は政治と人間の真理について語る。
それは、こうあるべきとか、こうするべきといった、思想や理想を語る口調とは程遠い、かといって諦念とも違う。
彼はただたんに、目の前の事実を平坦な口調に述べたに過ぎない、それに対して反発を覚えるならば、万有引力の法則や、質量保存の法則に対しても反発を覚えるべきだろう。
彼はただたんに目の前の現実を切り取り、こういった場合は人間はこう動く、あの場合はこう、と観察し分析し記述したに過ぎない。
彼が、こうすべきと言うとき、それは人はこう生きるべきという理想を語ったわけではなくて、国を上手く収めるためにはこうすべき、という意味なのだ。

従って、彼の言葉には理想はない、そこに不満を覚える人間もいるかもしれないが、そもそもにおいてマキャベリに理想や思想を求めるのが間違いなのだ。
ここにあるのはただ事実、そして、ただの法則。



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