解説によれば、北川歩実の作風はアイデンティティを揺らがせるのが作風らしい。
この作家の作品を読むのはたぶん二冊目だが、かつて読んだ本は短編集なうえに代表作でもなかったらしくさして印象に残っていない。よくあるというか、それなりの質をたもったミステリ短編集という感じで、読んで損をしたとは思わないものの、かといって得をしたとも思わなかったものだ。

さて、この作品は解説の笠井潔によれば、第一期を代表する傑作らしい。
分厚い分量に人類のアイデンティティという骨太なテーマを扱った本作だが、事実傑作だと思う、読んで得をしたと思える作品だ。
良質なミステリ作品というものは、ただたんに驚かせるだけでなく、ほんの少しだけものの見方・世の中の見方を変えてしまうような魔力を持っている。トリックを理解しすべての真実が明らかになったその瞬間、自分自身のなかにある物事を見る上での偏向に気づかされるわけだ。
そういった意味で、この作品は良質なミステリとしての資格を十分備えている。一読して、「人類のアイデンティティ」に対し少しばかり疑うようになってしまった。果たして「人類」であるという事はそれほどまでに自明な事なのだろうか?、と。

人間とそれ以外を区別する指標は何か?
色々な区別があるだろうが最も決定的で、そして、人類が鼻にかけているものは知性だろう。そして、その知性を証し立てるものとして言葉と文法がある。言葉を使い文法を操る、それこそが万物の霊長である人類の証である、と。
しかし、逆にいえば人類が人類なのは、その程度の根拠しかないという事だ。
この作品は人類と猿を対等に扱っている、対等に扱うという事がどういう意味か?、それは読んでもらうしかないが、切れ味鋭い真相とともに、読者の手には重い問いが残される。
人類とそれ以外を分かつものは何か?、と。

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