カラスっぽいブログ

感想置き場、基本ネタバレなし リンクフリー PC版の方が見やすいと思う

カテゴリ: その他

日立評論 新井紀子 2016年4月 2020/8/13に読む

短いエッセイだけれどとても興味深い内容。
文字の発明によって失われたものを我々は認識することができない。なぜなら、我々は皆文字発明以後の世界で生きているから。それと同様に、AIの発達によって失われるものもあるだろう、しかし、AIが一般化した世界において人はその問題を認識することはできない。
『私は、インタビューで「人工知能は、人間のように情緒を感じるようになりますか?」と尋ねられたとき、こう答えるようにしている。人工知能を私たちの生活に入り込むとき、私たちから情緒を感じる能力が失われるから、それほど差を感じずに済むようになるでしょう、と。』



東洋経済ONLINE 大山加奈 益子直美 2020/9/3 2020/9/7に読む
東洋経済ONLINE 大山加奈 益子直美 2020/9/2 2020/9/7に読む

今までスポーツや体育会系とは全く無縁な人生を歩んできたので、別世界をのぞき見るような感覚で読んでしまった。そもそもスポーツってのは遊びであって、楽しむためにするものだろうに。楽しくないんだったらやめたら?、と思ってしまう。なんで楽しくもなく、苦しいことばかりなのに、ずっとバレーを続けてこられたのか、そこがすごく謎。二人ともスポーツの世界で生きてきた人間のせいか、なぜ続けてきたのか?、という根本的疑問が思い浮かばないのだろうか。
あと、コロナのせいで全国大会がなくなったことにホッとした高校生が結構いるという話も衝撃。中止になったことで安心されてしまう全国大会っていったいなんなんだ(笑)、と。



ブルーバックス 更科功 2020/2/7 2020/9/29に読む

ロマンあふれる記事。
かつては何種類もの人類が併存していたというのは衝撃。人種の違いではなく、生き物として違うけれども同じ人類、というのが、正直全くわからなかったりするが、まさにそのわからない感覚自体が衝撃だったりする。



ブルーバックス 更科功 2019/12/6 2020/9/30に読む

タイトル通りの内容を非常にわかりやすく解説してくれる良記事。文系の自分でもスラスラ読めたし、頭に入ってきた。
また、「生命は地球で何回も生まれたかもしれない。」という話も面白い。



ブルーバックス 更科功 2018/9/7 2020/9/30に読む

とても面白い記事。知らないことばかりで面白かった。ゲノム解析で見えてくる人類の歴史にワクワクしながら読んだが、しかし、根本的な疑問がわいてしまった。そもそもにおいて、なぜ「出アフリカ」というイベントが起こったと仮定するのだろう。地面は繋がっているのだから、毎年ちょっとずつユーラシアに出て行ってた、と解釈した方が自然で、何回か「出アフリカ」というイベントがあって、一度にドカッと出て行ったと考える方がよほど不自然だと思う。そこがすごい疑問。



現代ビジネス 阿部恭子 2020/9/30 2020/10/2に読む

田舎におけるコロナ差別のひどさに唖然とした。同じ日本とは思えない。もちろんこんな「田舎」ばかりではなかろうし、あえてひどい地域を選んだ可能性もある。とはいっても、正直「田舎、ろくでもねーな。」と思ってしまった。都会在住者の差別意識と偏見も入っているが。
都会だと、コンビニやスーパーにノーマスクで入っても特に何も言われないし、注目されることもないんだよね。たぶんみんなたいして気にしてないんだろうなと思う。人の目が気になるから忖度してマスクしてるって人が大部分なのでは?と。田舎の方だと、コロナに対する認識が都会とは違うのだろうか?



Books&Apps 高須賀 2020/9/25 2020/10/8に読む

人はなぜ老害になってしまうのか、という謎に対する魅力的な仮説。この説明には、ややおおざっぱだなと感じるところもあるが、多くの人がなりたくないと思っているのになってしまうという謎を解く鍵になるかも?



Books&Apps 熊代亨 2020/10/8 2020/10/8に読む

上にあげた説明よりも、こちらの方が説得力が高い。
人々が「めんどう」を嫌い、住みよい社会を目指した結果、似たような人間ばかりでつるむようになり、老害化が進む、と。
説得力のある説明だが、この人は、「老害」という言葉をやや広く使っており、世間一般の「老害」イメージはもうちょい狭いんじゃね?、とも思う。
あと、この文章を読んだおかげで、「俺もう老害でいいやwww、ってかそっちの方が楽に生きれそう。」という気持ちになってしまった、いやそれでいいのか(笑)。



産経ニュース 本郷和人 2020/8/6 2020/11/15に読む
産経ニュース 本郷和人 2020/8/13 2020/11/15に読む

コロナ禍に語る、日本古代の天然痘。古代において流行った天然痘は、どうやら、ヨーロッパにおけるペスト並の猛威を振るったらしいとのこと。なにしろ、「3年に及んだ天然痘の流行で、当時の総人口の25~35%、100万人から150万人ほどが亡くなっている」というのだからすさまじい。これだけすさまじいことが古代において起こったのなら、何らかの形で思想や宗教に対する影響があってもおかしくないなと思った。
また、歴史ではなく時事に対するコメントだが、「たとえば演劇に命を懸ける人が公演の自粛に追い込まれたら、それは生きていることになるのか。」という言葉も印象に残った。



産経ニュース 本郷和人 2020/10/1 2020/11/15に読む
産経ニュース 本郷和人 2020/10/8 2020/11/15に読む

「簡潔で美しい説明」を、数学者ではなく歴史学者が重視するというのが面白い。歴史に対してこういう発想をしたことはあまりなかったが、『物事にはどんなことでも、細かな事情はつきものです。「簡潔で美しく」説明できなければ意味がない。説得力は生まれません。』という考えにも一理あるかなと思った。
ただ、「鎖国はなかった」論に対する反論に関しては、そういった主張する人たちがどんな意味で「鎖国」という言葉を使っているのか、それをきっちり把握し記述すべきだと思った。ただ単なる「鎖国」の定義の違いに過ぎないという可能性もあるので。



KENTWORLD for ゲームレビュー KENT 2017/10/2 2021/5/25に読む
KENTWORLD for ゲームレビュー KENT 2017/10/2 2021/5/25に読む

今はまんべんなく様々なゲームを愛する者が、自身のゲーム人生を振り返り、かつての黒歴史を語る記事。かつては、狂信的な任天堂信者だったと語る書き手だが、その内容がすさまじい。周囲に対して熱狂的に任天堂のゲームをすすめる、くらいは序の口で、弟にプレステは買うなと言ったり、プレステの悪口を言って友達と喧嘩になったり、神社でお参りするときはN64が売れるように願ったり・・・。いやもう明らかにこいつやべー奴だなって感じで、昔のこととはいえ引いてしまった・・・、こういう人って本当にいるんだな、と。
まあ、そんな風なやばいゲーマーだった書き手が、どんな経緯をたどって「全機種を愛するゲーマー」になったかがわかる、ゲーマーとしての人生を記述しており、そこが面白かった。



KENTWORLD for ゲームレビュー KENT 2019/9/13 2021/10/28に再読

DQBの感想をこのブログにあげるさいにちょっと戸惑ったのが、あのゲームは、アクションアドベンチャーなのかARPGなのかということだった。両作ともに一応レベルがあるものの、レベルがあがってもせいぜいHPがあがるくらいで、レベルをあげてごり押し、ができないゲームデザインになっている。けれど、ぱっと見ARPGっぽいしドラクエだし、マインクラフト風RPGなのかな?と考えれば、ARPGとみなしてもいいような気もする。そんな風に迷っていた時期に出会ったのがこの記事で、両ジャンルの違いを『プレイヤースキルかキャラクタースキルのどちらを重視しているのか』で説明するのはとてもスマートな説明で得心がいった。
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この文章も元々コメント欄に返事として書いたが長すぎるため独立した記事とした。





とりあえずエロゲー批評空間に載っている残響さんの感想を、以下のものを除いて読んでみました。


・長すぎるのであとで読もうと思ったもの

・将来プレイするかもしれないので、ネタバレをおそれてスルーしたもの
駄作の「化け物」論以降

「駄作」についてはあれですね。読んでいる途中で、これはプレイした方がよいのでは?と思い、あわてて途中で閉じてしまいました。正直、あのゲームにたいしては、奇抜なことをやって注目を浴びただけのグロゲーみたいなイメージがあったんですが、どうやらそうではないらしい、と。



まあ、そんな感じで分量的には全体の半分かそれ以下くらいしか残響さんのエロスケ感想を読んでいないわけで、それで語ってしまうのもどうなんだろうと思いますが、いくつか感想が思い浮かんだので、それらを出力します。

なんとなくの印象ですが、私小説作家みたいだなと思ったこと。
自分自身の私的なことを語りつつもそれらが芸として昇華されており、ただ単に「ギャー!」と叫んでいるようには思えない。「ギャー!」と叫んでるように見せかけて、それそのものがうまい具合にエンタメとして昇華されているような気がします。なので、読み手を意識していないようには見えないんですよね。
確かに、題材には偏りがありやや人を選ぶかなとは思いますが、読者の方を向いていないとは思えない。
例えば、『「ギャー!」が極まった』とされている「メイドさんのいる暮らし」に対する長文感想ですが、私の読んだ残響さんのエロゲー批評空間の感想の中では、今のところ一番好きですね。そこまで読みにくいってことはないと思う。
確かに題材はマニアックだし、長文の内容のほとんどはゲームの紹介でも考察でもなく、私はいかにしてゲロになったか、というものすごく私的なことを延々と語っているだけといえば、それだけなんですが、なんとなくこういう文章は好きなんですよね。

特に

『これ15年前くらいに読んだとき、「そんなゲロみたいなことするか?」って思っていたもんですが、大正時代のこの文が、令和の自分を貫いてやみませんね。わたくしは15年をかけて立派なゲロになりました。』

ここを読んだ瞬間声を出して笑いましたね。



あとはまあ、百合の話がやたら多いなあ、ということ。
正直私は、自分が百合好きなのかどうか自信がなくなってきました、残響さんがあまりにもガチなのでw
一応自分も、百合好きという自負というか、まあ自覚みたいなものはあったんですが、残響さんの百合レビューを読んでいたらだんだん自信がなくなってきまして(笑)、少なくとも、自分は百合を主食にする人間ではなく、調味料としての百合が好きなだけではないのかな、と。

例えば好きな百合アニメというと真っ先に『エル・カザド』が思い浮かびますが、これも、百合アニメとして好きという以前に、真下アニメだから好きという理由の方が断然大きい。
真下アニメが本体であって、百合っていうのは調味料みたいなもんで表面にパラパラとかけられている。いやそれどころか、この作品の場合百合アニメではなく、あくまで、仲の良いヒロイン二人の逃避行を描いた作品である、と言っても決して間違いではない。
でも、自分的にはこれくらいの超ぬるい百合度合いがむしろちょうどいいんですね。これくらいの「温度?」の方がちょうどいい。むしろ、がっつりとした、きちんと百合と明記してあるような作品は、やや苦手だったりする。
これは決して嫌いというわけではなくて、脂っこい料理は好きだけど、食べるのはたまにでいいかな、という感覚に近いと思います。
例えば、「神無月の巫女」は傑作だと思うし個人的にも好きな作品だけど、ああいうアニメばっかり視聴しろといわれたら、それはちょっと無理・・・、という感じですね。

なので、自分は百合者を名乗る資格がないのでは?、とちょっと自信がなくなりました。(笑)
また、これと絡めて話題にあげますが、「その花びらにくちづけを わたしの王子さま」があまり読まれていないらしいというのも、その内容のあまりのマニアックさかげんによるのでは?、と思いました。
私のようにそこそこ百合が好きという人間でも、正直、読んでいてちょっとよくわかんないぞ、と感じたので、百合に興味のない人間が読んだら、なにがなにやらってことになるかもしれません。
ブルーマウンテンとキリマンジャロの違いを熱く語る文章だったらコーヒーにたいして関心がなくても読めるじゃないですか、しかし、同じキリマンジャロでもAとBは違うっ!、って力説してる文章の場合読者は限られてしまうと思うんですよね。





オーサの本ですがネットの広告かなんかでチラッと目にした記憶はあるんですが、特に興味がなくスルーしてきました。
早速試し読みの部分だけ読んでみたんですが、4コママンガそのものよりも、そのマンガに対するオーサのコメントにたいして魅力を感じました。


速い続きはとても下手です。
無意識的に財布をカバンの一番下に置く
きいち君には申し訳ございませんの気持ち。
同じ話をする事実で心が喜びます。


ここらへんはかなり萌えましたね。(笑)


ディオンの本にしろこの本しろ、結局のところ著者の人柄が大事なのかなあと思います。ただ単に外国人で日本語ができればできるか、というとそんなもんでもない。
このオーサの本も、人柄の魅力というものが前面にでているような気がします。
ファンの人たちも、彼女の、感性の可愛らしさや、色々なものに食いつきチャレンジするその旺盛な好奇心、そういった心の魅力に引かれているのでしょう。
また、一番好きなアニメがウテナというところもいいですね、渋いというかなんというか、このちょっとマニアックなセレクトが実にいい。
個人的にウテナは好きなアニメの一つなので、好感がわきました。
もちろんのことですが、速攻でお気に入り登録しました、セールがきたらまとめ買いしようと思います。





・ボーナストラック

『「作者、自作を語る」みたいな企画文章が実に好きでして。』とあるので、じゃあいいかなと思いちょっとだけ自分語りをします、自分のブログだし、それくらいいいよね、と。


エロゲー批評空間に文章を書き始めたきっかけは・・・、もうあんまり覚えていません。
これといったきっかけがあったわけではなくて、なんとなく、自分もみんなのまねをして書いてみよう、といった、淡いノリだったと思います。
そういう意味では、残響さんのきっかけとほとんど同じですね。

書き始めた当初は、レビューを書こうという意識が強かったです。
役に立つ、客観的で、公平な、そういう文章を書こう!、と。そういう意識が強かった。
なるたけ主観的ではなく、みんなに開かれた文章を書こう、と。

こういう意識で書いていた時期は、文章を書くのがあまり楽しくなかったですし、あまり上手く書けていなかったなあ、という思いが強かったです。
四苦八苦というほどではないにしろ、なにかこう、窮屈な状態で書いていたな、と、今にして思えばそう思います。

転機が訪れたのは、「何処へ行くの、あの日」です。
この感想を、書いている途中だったか、それとも書き終わったあとだったかは忘れましたが、「主観的な感想」でいいや、と思うようになりました。
主観的で、読んだ人の役にも立たず、公平さもない、そういう文章でもいいや、だって感想なんだもの、と。
それ以来、文章を書くこと自体が楽しくなり、すらすらというほどではないにしても、前に比べれば書くのが楽になりました。
そのうえなぜか、コメント投票もぼちぼち入るようになりました。
自分は感想でいいやって思って、好き勝手書いているにも関わらず、なぜか、そちらの方が評価されるわけです。不思議なことです。

これを機にレビューを書こうという意識がなくなり、感想を書こうという意識になりました。
レビュアーではなくて、感想家(造語)になったのです。
他人がどう思うかはともかく、自分は自分のことを感想家だと思っています。レビュアーのような公平さや客観性は俺にはないのだ、と。ってか、そんなものを俺に期待するな、と。
俺は俺の書きたいものを書きたいように書く、だって感想家なんだもの。

そういうわけで、自分のエロスケにおける歴史を区分するならば、「何処へ行くの、あの日」以前以後で区切るのがよいかなあと、思っています。



おまけの文章としてはやや長くなってしまいましたが、楽しんでくれれば幸い・・・。
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この文章は元々コメント欄に返事として書いたが長すぎるため独立した記事とした。






ども~、こうして直接お話しするのは初めてですね、カラスです。

エロスケの長文とブログの感想を全て読んで下さったのは大変ありがたい・・・ことなのですが、実は私、残響さんの文章というと、エロゲーマーについての二千字前後の感想と、エロゲーマー諸子百家と、対談企画を少しと、後はこのブログのリンクメモに載ってるページだけでして、エロスケの長文感想は一つも読んだことないんですよね、たぶん。すいませんw
なので、残響さんに対するイメージというと、百合の人ってのと、エロゲーマーに詳しい人?、くらいしかなかったりするわけです、ほんとすいません、後でエロスケの長文を何本か読んでみますね。

いやまあ、いいわけになるんですが、ミステリを愛するものとしてはやはり、なるたけ初読の楽しみを大切にしたい。そのためにはたとえネタバレ無しの感想であっても、そのゲームをやる可能性が少しでもあるなら避けて通りたい。そういう心理が働くおかげで、お気に入り登録しているレビュアーさんでさえ、全て読んだ人は一人もいない、という状況だったりするのです。
まず間違いなくプレイする、あるいは、作品に対する期待が高い場合、ネタバレを避けようとするのは自然なことです。しかし自分の場合、将来プレイする確率が50%を切っていても、いや、20%くらいあるならば、念のためネタバレは避けておこう、となってしまうわけで、これはもうミステリ好きの宿命みたいなものなんですね、なので、そこは許せ、と。
そういうことが言いたいわけです、いいわけですが。



で、ついでというわけではないんですが、良い機会なので知りたいことがあります。
自分も今までいろいろなエロゲに感想を書いてきたわけなのですが、当然ながら、自分の中に理想というか、こういう感想を書きたいっ!、みたいなものがあります。

それを箇条書きにすると、

・ネタバレ無し
・主観的
・作品の特徴を大掴みに語る
・二千字から四千字くらい。

こんな感じになります。これが自分にとっての理想的な感想のイメージです。
で、この理想を仮に100点としたときに、80点前後くらいはいくかなあ~と思っているのがいくつかあります。

これらはいずれも自分が書きたいと思っている理想の感想にかなりの部分合致しており、書き終わった後の満足感がかなりありました。他人がどう評価するかというのは別として、自分としてはかなり評価が高い。
特に「夏ノス」の感想は、自分が今まで書いた感想の中ではブログも含めていまのところ、一番出来がいいと勝手に思ってまして、時たま読み返してにやついたりすることは・・・、ええ、あります、ありますとも。

そういうわけで自分としては、残響さんにとっての理想の感想イメージと、エロスケに投稿した文章の中で、その理想に近いという意味において個人的に気に入っている文章というものがあったなら、それを知りたいなあ~、と。
コメント投票がいくつ入ったとかは関係なく、自分的に気に入っていて、書いた後の満足感が深かったものを教えて下さい。



・ディオンの本

自分が薦めた本を誰かが手に取ってくれるというのはとても嬉しいことです。
文章を書いて投稿する、そこになんの目的があるかといったときに、身も蓋もなく言ってしまえばただの自己満足であるといえないこともない。
しかし、それだけでなく、他人に影響を与えると言うこと自体が面白いと感じる自分がいる。池に小石を投げ込む行為にはなんの意味もありませんが、自分の投げた小石で水面に波紋が描かれるのを見るのは結構楽しいものです。

私が言うのもなんですが、「この本をお買い上げいただきありがとうございました!」、という気分ですね。隠れた名著だと思ってますし、感想にも書いたように、この人の文章をもっと読みたいと思っているので。

そういえばこの本のもつ文章の魅力について、感想に書くのを忘れていました。
若干たどたどしくはあるものの、たまに硬い表現が混じったりするという、日本語としてレベルが高く読みやすいけれども、自然ではないという絶妙なバランスがあり、一言でいうと萌え文だったなと思います。
地の文に(えっへん)とか書いちゃうそのセンスも、母国語が日本語ではないと考えると、圧倒的に萌えます。

残響さんのレスを機に、あらためて自分の感想を読んでみて気づいたことなんですが、どうも自分はこういった、外国人の書いた、流暢でそこそこ自然だけどちょっとだけ違和感のある文章というものが、どうやら好きらしい、ということです。
思い返せば、こういった外国人の書いた萌え文に目覚めたのは、かなり前に読んだちくま文庫のアンソロに入っていたフランス人女性の書いた短いエッセイだったように思います。
その文章はというと、もちろんアンソロに入るくらいなので日本語として不自然なところはなくしかも読みやすい良い文章なのですが、西洋の人が書いたためか、いちいち「私」という人称がはいってくるんですね。主語をなかなか省略しない。(笑)
しかしその特徴が妙な生真面目さを感じさせて、若干融通が聞かない帰国子女のクラスメイト的なキャラ属性を感じさせ、一言でいえば萌えました。
今思えば、あれが文章そのものに萌えを見いだしたはじめての体験だったなあ~、と。




調子に乗って長々と書いてしまいましたが、私が書いた長文感想を全部読んでくれる人っているもんなんだなあ~、とちょっと感動したんですよね。
先にも書いたとおり、他人に影響を与えるのが面白いから書いてるって部分もあるので、こういった長文のレスを受け取ると、よっしゃエロゲの感想もそれ以外の感想もバリバリ書こうって気分になるんですよね。まあ、そういっといてたいして書かないって可能性もありますがね。

あとはまあ、やはりというかなんというか、残響さんは本当に文章の人なんだなあ、と思いました。
私も文章の内容がどうこうよりも、文章が感じさせる人柄とか雰囲気とかを味わうのが好きなタイプではあるのですが、残響さんは私をはるかに越えるガチ勢だな、と。
自分の場合、いくらその人の文章が好きでも、興味がないジャンルとかはとばしちゃったりしますからね。全部読むのが苦にならないってのは本当にすごい。

まあそんなわけで、自分としてはまたエロゲーマーに対する感想を長文で書けばいいのにって思ってます。
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コインカウンタなるもの。
小銭の整理めんどくせえなと思っていたときにヨドバシの金庫コーナーでこういう製品を見つけ、これは良いなと思って購入したという経緯・・・、だったはず。いやしかしこれは逆だったかも知れない。たまたまヨドバシをふらついていたらこういう商品を見つけ、「そういや小銭の管理面倒だな」と気づき、これは便利だなと思って購入した・・・、という経緯だったのかも知れない。今となってはどちらだったのかはわからないが、後者の可能性の方が上だと思う。なぜならば、そもそもにおいて、こういった商品を目にしなければ、小銭問題をわざわざ解決しようなどとは思わないだろうからだ。そういった発想自体出てこないと思う。なので、結論としてはヨドバシは罪深い存在だなということになるが、一方、ヨドバシをふらつきたいという欲望を押さえることはできない。さすがに今は自粛しているが。
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この「リンクメモ」は名前の通りリンクとそれに対する感想をメモったものである。岩波ジュニア新書のインターネットに関する本を読んでいたら、最初期のブログはメモ付きリンク集みたいなものだったという記述があり、それが原因で思いついた。



朝日新聞デジタル 新井紀子 2019/10/11 2019/10/13に読む
AIとソ連の「もしも話」から、二つの意味が引き出される。ひとつは、AI技術の目標と、全体主義・計画経済はよく似ているということ。もうひとつは、質を量で測ることの危険性。幸せを数字で表すことはできない。



東洋経済ONLINE デービッド・アトキンソン 2019/10/03 2019/10/16に読む
日本人に足りない「要因分析」をすすめた結果、現在の停滞の原因は1964年にあるとの驚きの結果。この年から「衰退」がスタートしたのだという。衝撃的な見解だが、高度成長を人口増加だけで説明するのは疑問。



AERA 2019/10/15 2019/10/18に読む
日本人を苦しめる「嫉妬」の念。世の中には、きちんと出席しないのに成績がよいのは「ずるい」と、教師に訴え出る生徒もいるのだとか。宗教が弱体化した結果、人間の自己絶対化が進んだという、宗教家の見解が興味深い。



現代ビジネス 御田寺圭 2019/10/19 2019/10/21に読む
「ジョーカー」が君臨することになったのは「結果」であるという考察。「ジョーカー」は悪の原因ではなく、「結果」である、と。社会に包摂されない弱者が世の中には存在する、と。



「人を助けず、立ち去れ」が正解になる日本社会
PRESIDENT Online 御田寺圭 2019/10/21 2019/10/22に読む
トロッコ問題に対して現代社会が出した答え、それは「現場から立ち去る」ではないか?岩国トロッコ問題は現代日本の挑戦に伴うリスクの大きさを象徴している、と。



巨乳の炎上に見る進化と文化のミスマッチ
本しゃぶり 骨しゃぶり 2019/10/22 2019/10/23に読む
女にとっての「巨乳」は「股間」ではないかという説に対する反駁。女性が「心が通じる有能なイケメン」が好きであってもそれは本能に従っているだけで男と大差ないのではないか、と。そして、そういうものがただ単に炎上しにくいだけでは、と。



「負の性欲」はなぜバズったのか? そのヤバすぎる「本当の意味」
現代ビジネス 御田寺圭 2019/12/9 2019/12/9に読む
「キモい」という言葉に対するカウンターとしての「負の性欲」。理性を性欲であると言明されてしまったのが、一部の人間にとっては腹が立つらしい。また、話を性淘汰の話にまで広げているのが面白かった。



レッズ・エララ 神話体系 残響 2019/10/19 2019/12/31に読む

幸か不幸か、SNSと相性が良すぎる人間というものがいるらしい。一般的に言って相性が良いことは良いこととされている、しかし、Twitterと相性が良いという場合、無邪気に良いとは言えないのかも知れない。
カラスの場合、幸いにもTwitterとの相性は悪く、ほとんど発言することもなく、リツイートといいねを押すだけといった趣だ。だから、Twitterに生活を喰われてしまうという感覚はわからないし、ここにあるような、『「SNSの仕様そのものに疲れた」』とか『「SNSで、自己が分裂していってしまう自己嫌悪」』という感覚そのものがわからない。
わからないということはおそらく良いことなのだろう、そして、わからない人間には批判する資格などあるまい。それに、趣味に打ち込みたいという優先順位の問題であるならば、他人がとやかく言う問題ではない。しかし、それでもやはり、ちょっともったいないなと思ってしまう。ネット上にあげたものはなるたけ削除するべきでない派、なのでね。

「●さいごに」の中に興味深い記述がある。
「消滅」を恐れなくなったというのだ、これはちょっと羨ましい。自分は残念ながらそういった境地にはほど遠く、自分が死んだ後もどうにかこうにか、この世に対する痕跡が残ってくれればいいなあと、恋々としている有様。
とてもではないがこういった風な悟りきった境地には至れそうにない。



現代ビジネス 御田寺圭 2020/1/23 2020/1/26に読む
重い記事。いわゆる植松理論に対して反論することの難しさを、淡々と述べている。多かれ少なかれ誰であれ、皆有用性というもので人を判断していないか?こう問われたときに、否定することはとても難しい。



東洋経済ONLINE 角田陽一郎 2020/3/1 2020/3/2に読む
本好きが本嫌いに、なぜ本を読まないのか、その理由を聞いてみた記事。上から目線ではなく、あくまで純粋な好奇心の赴くままに聞いているのがよい。
本嫌いのA氏があげる、本を読まない五つの理由だが、最初の三つは予想通りでさして驚きはない。つらい・時間がかかる・楽しくない、いずれも想定内だ。しかし、四つめと五つめは想像のはるかに斜め上をいっている。
曰く、「書き手が知らない人だから」・「ネットのほうが便利だから」だそうだ。この発想はなかった。特に、本の内容に関して知りたければまとめサイトをみればよい、という発想には唖然としてしまった。



栗ティーク21のブログ 栗ティーク21 2012/1/21 2020/3/9に読む
福沢諭吉と大村益次郎が議論をしていたというのは初めて知った。あんま接点が無さそうな二人だったので意外。「大村(村田)が憤慨したのは当然だと思う。」とあるが、なるほど確かに。「どこか他者の心情に対する鈍感さを窺わせるのである。」とあるが、そういった福沢諭吉の空気の読めなさが印象に残った。



栗ティーク21のブログ 栗ティーク21 2012/2/1 2020/3/15に読む
與那覇潤の「日本の中国化論」についてはどこかでチラッと読んだことがあり、その時はいまいちピンと来ないなあというもやっとした感想を抱いたにとどまったが、この論考を読むと自分の抱いた違和感が明晰かつ的確に言語化されており、膝を打った。特に『「中国的な民主主義」という言葉自体が形容矛盾なのである。』という指摘に激しく同意。
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microUSBは物理的な意味での耐久性にやや難があり、かつてとある端末のmicroUSBをダメにしてしまったことがある。何かよい解決策はないかとヨドバシでふらついていたところ出会ったのが、USB Type-C用のマグネット脱着式ケーブルである。Type-C用があるならばmicroUSB用もあるだろうということでヨドバシドットコムで検索したところいくつかヒットしたが、その中でこの製品を選んだ。なぜこの製品を選んだかはもう覚えていないが、恐らくマグネット部分の形状で選んだのだろう。現在使用しているUSB Type-C用のケーブルの脱着部分の形状が楕円形なので、それと似たような形状を避けた結果、この製品を選んだものと思われる。そんな経緯で購入したが、この製品、とても重宝しており買って良かったと思えるアイデア商品である。やはり、何となくヨドバシをふらつくという楽しみはなかなかやめられそうにないのだ。
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専門的なアレではなくて、初心者向けにプログラミングの概念を伝える内容っぽいなと思い購入。雑誌なのであまり分量は多くないものの、プログラミング入門と言うよりも、プログラミングのイメージを実例を通して伝えるという内容で結構満足した。まさにこういう本が読みたかった、面白かった。プログラミングとは論理そのものであり、国語とプログラミングの関係はどうなのか、とか、教育におけるプログラミングの効用、といったテーマにも興味が向いたので、いつか特集して欲しいなと思う。
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普段本を借りるときは事前にネットで予約して取りに行くだけで、図書館をふらふらすることはめったにないのだけれど、たまたま気が向いて、返却のついでになんとなく本棚の間をふらついていたら見つけた本。
多摩デポブックレットというまったく聞いた事のないローカル臭あふれるシリーズの12冊目らしいが、おそらく、本屋にはなかなか置いていないようなタイプの本だろう。
こういうタイプの新刊書店でも古書店でもなかなか見かけないようなマニアックな本に出会えるというのは、図書館のよいところだろう。これからは、適度に、図書館の中をふらつきたいと思う。

発行に、共同保存図書館・多摩とあるように、このブックレットは図書館が発行するシリーズらしい。
講演の記録で、50ページ弱。その内容はと言うと、図書館だけではなく、「本」にまつわる題材を手広くそしてわかりやすく適切な分量で語っており、ページパフォーマンスにすぐれた中身のある本だった。



桑原武夫蔵書廃棄問題から、話は始まる。
桑原武夫の蔵書が寄付されたものの、色々あって廃棄されてしまった、そして、その理由というのが、「桑原蔵書が市の図書館全体の蔵書と重複するところがあったから」(P5)だという。
ここから話は展開され、著者は、モノとしての本とデータとしての本の違いについて説明する。
○○蔵書というのはモノとしての本の集合体だ、そして、そこにこそ価値がある。
どこに付箋がはってあるか、線が引いてあるか、どれくらい使い込んであるか、そういったモノとしての本、物質としての本、が提供する情報を得ることができるからこそ○○蔵書には価値があるのだ。
本をデータとして考えるならば、重複があるから廃棄するというのは合理的な態度であり、なんら責められる理由はないかもしれない、しかし、モノとしての本という視点から見ると、桑原蔵書の廃棄は重大な損失になるのではなかろうか、と。
モノとしての本と、データとしての本、この発想が面白く印象に残った。



3章の副題は『「蔵書を図書館に寄贈するよりも、古書店に売るほうがいい」と考える理由』となっている。その理由として図書館に余裕がないという事もあげられているが、それだけでなく、現代はネット時代なので、古本市場に本が回れば、欲しい人必要な人の手に渡ることになる、むしろ図書館に寄贈するとそのまま死蔵されていつまでたっても、その本が陽の目を見ないという事になりかねない、という理由をあげており続けて、「ネットが普及してから、本を所有する意味が変わったように思います。」(P22)とある。
確かに、これは同感。
ネット時代においては所有する事の意味が変わってくる。例えば音楽がそうだけれど、わざわざCDを買うというのは、いまやコレクション的意味合いが強い。それかあるいは、お布施的意味合いか。
本というのも、多くは電子書籍化されているし、そうでなくとも、欲しければネットで検索して注文すればよい。
だから、本を手放すことに対しての心理的抵抗はかなり薄れたというのがある、欲しいと思えば検索すればよいのだから。



他にも、新刊書店、古書店、図書館はそれぞれ役割が違うのだから、図書館が新刊書店の真似をしなくてもいいだとか、今言われている出版産業の危機は、ビジネスの失敗に過ぎないのではないか、など、なかなか面白かった。
50ページ弱にしては中身が濃く印象に残る内容で、このシリーズはきちんと読んでみたいと思ったね。

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『日本の風俗嬢』の著者中村淳彦による本。あの本はタイトルどおり日本の風俗嬢とそれを取り巻く環境を描いた本であり、貧困そのものはそこまで大きく扱われてはいなかった。
この本はタイトルの印象とは違い、貧困と風俗の関係を描いた本である。副題の『若者貧困大国・日本のリアル』こそがタイトルにふさわしいのでは?、と思ってしまう。

この本を読了して思うのは日本社会は壊れつつあるのではなく、もうとっくに壊れているということだ。そうとしかいいようがない。



・奨学金

奨学金というと一時期まではもらうお金だとばかり思っていたしかし、それがどうやら借金らしいという事を知ったのは数年前。
その時はニュースかなんかでチラッと見たぐらいなので、大学生たちがどんな状況にあるかは知らなかった。せいぜい、無知だったり切羽詰った学生がついうっかり奨学金を借りてしまい、それで苦しんでるんだろうなあ、くらいの感想。
まさか、ここまで酷い状況になっているとは知らなかった。

現代の大学生にとっては奨学金を借りて大学を卒業するという事が結構普通のことらしい。卒業したとしても借金が残り、ギリギリの状態で生活し、ブラック企業に酷使されてゆく。
著者は、ハッキリとこれは学生を狙った貧困ビジネスであるといっている。貧困ビジネスに国が加担しているのだ。


・真面目な女子大生ほど風俗を志向する

真面目で将来を考えている女の子ほど、真面目に風俗で働いてある程度貯金して就職する、そういった状況になっているらしい。というか、ほかに選択肢がない。
これが、風俗ではない普通のバイトだと、そもそも勉強する時間がない。働いて働いて、寝てまた働いて、なわけで余裕がないし金もたまらない。
その点風俗ならば、本人に資質がある場合きちんと働けばお金もたまるし時間にも余裕ができる。そして、就職活動にも集中できるとよい事尽くめなわけで、頭が良くてまじめな子ほど風俗にいくという、なんだかとんでもない状況になっているらしい。


・風俗に流れる男子大学生

そして、風俗に流れるのは女子大生だけではない、同性愛者相手にカラダを売る男子大学生も出現している。
もちろん金がないゆえだ、学費の高騰と親世代の経済的苦境が原因だ。これが著者によると「平成型苦学生」である。


・沖縄の貧困

沖縄の貧困も凄まじい、はっきりいって救いがない。ここまでひどいことになっているとは知らなかった。
まともな仕事がなく、公務員くらいしかまともな生活が出来る職業がないらしい。
普通に学生生活を送れるのは風俗嬢だけという現実にげんなりしてしまった。



読了してこれだけ陰鬱な気分になる本もめずらしい、一気にMPをもっていかれた感じだ。
本の中で二度も引用されている、大内教授の「日本はもう、壊れていますよ……メチャクチャです」という言葉が強く心に残ってしまう。
とりあえず、奨学金制度だけでも何とかすべきだろう。国が若者に金を貸して利子を儲けるなどあってはならないはず。
というかそもそも、奨学金などという名前のくせに内実はただの借金というのが恐ろしい…。

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マキャベリと言うと権謀術数みたいなイメージがあって、目的のためには手段を選ばぬ的な、暗いイメージが付きまとう。
要するにオーベルシュタインのようなタイプのキャラクターが、いわゆるマキャベリストなどと呼ばれるもので、それに付きまとうイメージは、物事の裏面を担当する、手を汚す事をためらわないという感じのイメージだ。
つまりは、マキャベリは一つの思想として受け入れられている、政治をおこなううえでは、あらゆる権謀術策を尽くせという教えとして。
世の中はこうなっているもの、と説明するのが科学で、
人はこうすべきと教えるのが思想ならば、
大部分の人間は、マキャベリは思想家であると答えるだろう。
それも、みもふたもなく実用一点張りのあぶない思想家として。

しかし、この書物を読むと、マキャベリに対するそういったイメージは一転する。
マキャベリは、確かに思想家かもしれないが、それ以前に科学者なのだ。
人間や政治という、実験室で検証することはできない題材を扱っているが、彼の視線は確かに科学者のそれ。
人間とはこういうもの、政治とはこういうもの、例えば、水が百度になると蒸発するという真理を語るのと同じ口調で、彼は政治と人間の真理について語る。
それは、こうあるべきとか、こうするべきといった、思想や理想を語る口調とは程遠い、かといって諦念とも違う。
彼はただたんに、目の前の事実を平坦な口調に述べたに過ぎない、それに対して反発を覚えるならば、万有引力の法則や、質量保存の法則に対しても反発を覚えるべきだろう。
彼はただたんに目の前の現実を切り取り、こういった場合は人間はこう動く、あの場合はこう、と観察し分析し記述したに過ぎない。
彼が、こうすべきと言うとき、それは人はこう生きるべきという理想を語ったわけではなくて、国を上手く収めるためにはこうすべき、という意味なのだ。

従って、彼の言葉には理想はない、そこに不満を覚える人間もいるかもしれないが、そもそもにおいてマキャベリに理想や思想を求めるのが間違いなのだ。
ここにあるのはただ事実、そして、ただの法則。



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タイトルのおかげで損をしている本ではないだろうか。
やたらに刺激的で思わず眼を剥いてしまうタイトル、しかも著者はフランス人という事で、どうせドイツ嫌いのフランス人がやっかみ混じりにドイツをディスっているんだろうなどと、はじめて本屋で見かけたときは思ってしまったものだ。
そんなふうに思ってしまい、本を手に取ることなくスルーしてしまった人は多いと思う、そんな人はぜひともこの本を手にして欲しい、いや買えというわけではない、ただ、本を開いて最初のカラーページを見てほしい。
一目でわかることだが、ガスパイプラインの終着点のほとんどがドイツだったりする。(笑)
これほどまでわかりやすい、「ドイツ帝国」の地図というのもなかなかないかもしれない。
それだけでなく、本書を紐解けばわかるが、EUが実質ドイツ帝国とかしているという事が、著者の口を借りて繰り返し語られる。
そして、そのドイツ帝国の成立に一役買ってしまったのがフランスだというのだから、面白い。
著者によれば、フランスには独特の恐独病というモノがあるらしく、ドイツは怖いから刺激しちゃダメとばかりに気を使っていたら、いつのまにやらドイツがEUの王座についてしまったという事らしい、それもドイツ人が望んだわけではないのにも関わらず。
誰も掣肘する者がいない結果、えっいいんすか?とばかりにいつのまにやらドイツ帝国を築き上げてしまったドイツ人。
そんなドイツを著者は過激な言葉を弄してディスっている。


引用

P143
しかしドイツは、すでに二度にわたってヨーロッパ大陸を決定的な危機に晒した国であり、人間の非合理性の集積地の一つだ。ドイツの「例外的」に素晴らしい経済的パフォーマンスは、あの国がつねに「例外的」であることの証拠ではないか。
ドイツというのは、計り知れないほどに巨大な文化だが、人間存在の複雑さを視野から失いがちで、アンバランスであるがゆえに恐ろしい文化でもある。
ドイツが頑固に緊縮経済を押しつけ、その結果ヨーロッパが世界経済の中で見通しのつかぬ黒い穴のようになったのを見るにつけ、問わないわけにはいかない。
ヨーロッパは、二〇世紀の初め以来、ドイツのリーダーシップの下で定期的に自殺する大陸なのではないか、と。
そう、ドイツに対しては「予防原則」が適用されるべきだ!


いやちょっとさすがに言いすぎなんじゃないかな?(笑)
そもそも、二度の世界大戦の原因をドイツにだけおっかぶせるのはおかしくね?、と思ったり。
まあそんなふうな感じで、ちょっとドイツをディスりすぎかなと思う部分はあるけれど、今のEUはどんなもんなのかというのを知ることができ、面白かった。
一応EUには大統領がいるんだけど存在感空気な上に、なんとなくEUっていうとメルケルっていうイメージがあって、それが不思議だなって思ってる人は読んだほうがいいんじゃないかなって気がする。


わかりやすい要約
書評・「ドイツ帝国」が世界を破滅させる エマニュエル・トッド 文春新書



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タイトルにわざわざルポと銘打たれていることからも分かるように、価値判断や、これからどうすべきかという未来への展望をいったん脇において、アメリカの現状はどうなっているかというただ一点に絞って書かれた本。
新書という事もありページ数はさして多くはない、したがって、一点にのみ絞った書き方は成功だったといえる。
何よりも好ましいのは先に書いたように、良いか悪いかこれからどうすべきかという切迫感が、よい意味でないところだ。
こういった電子書籍や、インターネットと本との関係をかたろうとなると、どうしても切羽詰って額に汗をかきながら力を込めて語るという語り方になりがちだ。
しかし、この本の著者は、ごく冷静にありのままに、額に汗をかくこともなくかといって冷静に突っ放すことなく、ごく淡々と事実を述べ伝える。
さながら、アメリカから届けられた手紙を読むような、不思議な読感がある。

出版は2010年ということで古い、従って今アメリカがどうなっているのかはわからないし、この本で書かれた情報は、もしかしたらもう役に立たないのかもしれない。
しかし、アメリカにおける出版事情や、独自のお国柄を知る上ではまだまだ役に立つのではないだろうか。
といっても、比較文化論を語ったり、日本とアメリカの文化の違いを考えたりということはなく、読者に対して、素の情報を提供するというスタンスが貫かれているため、そういった点に深みを感じず、不満に思う読者もいるかもしれない。
しかし自分としては、むしろそういった点が好ましく、押し付けがましくもなく過度に深刻でもないのがよかった。
額に汗して語るような「電子書籍論」に辟易している人は、この本をお勧めしたい。
いい意味で、そっけない本である。



引用

P43
 日本の出版社は、さしずめレンガでできた家。一つひとつの土台がしっかりしていて、不況という嵐にも強いけれど、変化できない。レンガががっちりお互いに食い込んでいるので、少し穴をあけて風通しをよくしようにもなかなかできない。かなりあちこち傷んでいるが、外からは中がどうなっているのかよくわからない。電子書籍という新しい部門が必要になっても、すぐに建て増しできない。
 一方、アメリカの出版社はというと、藁でも木でもなく、ゼリーやシリコンのような材質でできている家、という気がする。ぶよぶよと形を変えながら、必要になったらトカゲの尻尾切りみたいに、すぐにリストラして身軽になったり、新しい分野に進出したいとなれば、他の会社を買収したりして、器用に姿を変えながら成長していく。

P122-P123
しかし、彼は「本」というメディアに託されたドロドロの過去の歴史が、iPadというピカピカのガジェットで洗浄できると思い込んでいるようである。
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