カラスっぽいブログ

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カテゴリ: アニメ

青春百合映画として良い感じ。

原作を読んだのは結構昔なのであんま覚えてないけれど、原作のSFやホラーな部分をスパッと切って、青春百合映画として完成させたって感じがする。ラストのラスボスの動機関連なんかも原作とはかなり変えてあるような気もするけれど、映画という短い尺でお話を作ることを考えればこれはこれで正解なんじゃなかろうか。

原作に思い入れのある人にとっては、あれも足りないこれも足りないとなって、不満もあるだろうが、一本の青春百合映画としてみれば十分合格ラインに達していると思うので、自分的にはわりと満足したし、見て良かったと思った。

三回ほど、音楽(うち二回は歌)をじっくり流すシーンがあったのも、真下信者的には好感触。すごくセンスがいいってほどでもないけれど、まあまあハマっていたので、良い。特に中盤の、二人がひたすら歩くシーンで、ハーモニカらしき音楽がかかっていたのは、とても印象に残った。作中で、一番好きなシーンかもしれない。

すごく印象に残るとか、テーマが深いとか、そういうことはないが、一人のコミュ障少女が百合を通して成長する、青春百合SF映画としてなかなか良かった。マンガ版とは違い、ちょっと切ない終わり方も自分好みで、派手さはないがキラリと光る佳品って感じ。
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限界小説研究会による、21世紀の「戦争」と「セカイ系」をテーマとした批評集のようなもの。基本的には、政治や経済の分析ではなくて、9.11以降のテロの時代において、映画やアニメといった「作品」がどう影響を被りどう変質したかを論ずるというスタンスだが、あまり統一感は感じず、各論者がそれぞれ興味のあることを好き勝手に論じるという、良くも悪くもまとまりがない本という印象を受けた。
とはいっても、いくつか印象に残った論考はあるし、読んで面白かった本なので、統一感はなく興味の方向性はバラバラだけれども、読んで損したとは思わなかった。





個人的に一番印象に残ったのが小森健太朗のふたつのアニメ論で両方とも面白かった。

ひとつは、W種00の三作品を扱った「Wから00へ」で、作品が時代からどんな影響を被り、そしてどんな風に消化したのかを分析した論述で、テロと戦争の描き方や扱い方とという観点からこの三作品を論じている。
この三作品は「それぞれに、9・11テロの以前、最中、以後を反映した興味深い物語」(P90)となっており、作品が時代に与えた影響ではなくて、作品が時代からどんな影響を受けたのか?をテーマにしており、言われてみればなるほどなあという納得感がある。

この三作品ともに「平和主義者」が出てくるが、Wのリリーナ、種のラスク、と違い、00のマリナは完全に無力な存在として描かれている、という指摘も面白い。
いわば、「時代」の影響を被ったおかげで、脳天気な平和主義者が出てきても作品世界の現実に対して影響を与えることができなくなってしまった、と。言葉を変えれば、00においてはそれだけ現実的な物語になっている、ということだ。

小森健太朗がこの三作品の中で一番評価しているのが00でその理由としては、「ストーリーも設定も最もよく練られていて、完成度が高い。」(P84)とあり、これも納得。自分もこの三作品の中なら、00が一番印象に残っているし、そこそこ面白かったなあ・・・という記憶がある。これが種なんかになると、あんま面白くなかったのでどんな話だったかほとんど覚えてなかったりする。

ただ、沙慈とルイスのエピソードと描写にたいして批判的なのは意外だった。「物語の中で、ルイスと沙慈のストーリーは奇妙に本筋から遊離している感がある。」(P89)「ルイスと沙慈の話を全部削除したとして、本筋の戦争ドラマには大した影響を与えないと思われるからだ。」(P89)これは確かにその通りなんだけど、自分なんかはほぼ同様の理由でこの二人の扱い方が面白いと感じたんだよね。
「本筋から遊離している」のは事実としても、平和と戦争がお隣同士という現実を描く上ではむしろ、こういう描写の方がよかったのではないかと思われる。そういう意味で一期における沙慈とルイスの描写とその物語内での扱われ方には妙なリアリティを感じたし、印象に残っている。
また、「本筋の戦争ドラマには大した影響を与えない」というのも確かに事実でこのことに関しては反論できないが、しかし、作品の持つリアリティや物語の膨らみに対してはプラスの影響を与えているのではないか、と思う。
沙慈とルイスに関しては、特に一期においてのその異物感、みんなが一生懸命ドンパチやってんのにイチャラヴという描写が、本筋と戦争から遊離していて逆に面白い、と感じたんだよね。



もうひとつは図書館戦争批判なんだけど、これも面白かった。

図書館戦争に関しては、小説もアニメも触れたことがなく、大ざっぱな概要を知るのみなので、小森健太朗の批判がどれくらい妥当なのか?、ということに関しては判断できない。
なので、ここで書かれている図書館戦争というコンテンツの特徴が仮に正しいと仮定して話を進めることにする。

例えば、オウム真理教やエヴァのNERVみたいな感じの閉鎖的でなんらかのドグマを一心に信じ込んでいるような、外側からみるとヤバげに見える団体というのがある。
この作品に出てくる「図書館」側の人間というのも、なんかそんな風な感じの人たちとして描写されているらしい。


「図書館を舞台にして検閲と表現の自由をめぐる相克と対立を描いた物語である『図書館戦争』連作は、異なる価値観がぶつかるといった対立軸が明確に持ち込まれていない。」(P138)

「『図書館戦争』の世界が〈モナド〉的と言えるのは、主人公たち正義の集団の外部にある、価値観を共有しない存在に関して、筋道立った〈論理〉を持つことをまったく許さず、ただただ、理不尽で、〈モナド〉内部の楽園を乱すものとしか措定されていないところだ。」(P146)

「〈良化委員会〉の〈検閲〉には、〈自由〉を旗印に抗戦するが、図書館内部に違う価値観をもった、同じ本を愛することができない者がいるときには、その者の〈自由〉を容認することができないダブルスタンダードと狭量さがこの主人公たちの対応には見え隠れしている。」(P150)

「隊員が命を落としてまで本を守り通したことを是認するほど、人の命より本が大事であるという転倒した価値観を図書隊は信奉するようになっているのだろうか。このジレンマに対して、作中で明確な主題的な提示はなく、その点に関する主人公たちの対応や価値観は、曖昧で不明瞭なままである。」(P155)

「本好きの共同体=〈モナド〉が、国家国民の普遍的な支持を得て、国家そのもののバックボーンをも得て、なおかつその〈自由〉を脅かす〈検閲〉存在への銃撃と抹殺を敢行している。」(P155)


とまあこういう感じで、絶対的な信念を持った正義側の組織VS理屈も生態も不明なわけわからん悪、という良くも悪くも今風な構図の作品らしい。
なにしろ未読で未視聴なので、小森健太朗のこういった分析が正しいのかどうかは判断することはできないが、とりあえず面白そうだなと思ったし、アニメ版だけは見てみようかなと思った。



あと巻末にゲームアニメ映画などの作品ガイドがあり、これが地味ながら結構よかった。このリストを参考にして触れた作品もいくつか有り、とても役に立った。
できれば、限界小説研究会編で、一冊のブックガイド的なものを作って欲しいなあと、思ったり。

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事前に原作は二冊くらい読んだが、それほど深い印象を受けたわけではなく、まあまあよいぐらいの評価でしかなかった。
しかし、このアニメを視聴したら、原作の評価が自分の中で上昇し、きちんと読まねば、と思うようになってしまった。
何でなのかはわからないけれど、このアニメ作品のおかげで、小説もアニメも両方好きになり、ひとつのコンテンツとして好きになってしまった。
わざわざドラマCDつきの方を駿河屋で注文したりするようになってしまったわけで、これからは新刊が出るたびに買うことになると思う。

で、このアニメ作品の魅力なのだが、なかなか語るのは難しいというか、妙な魅力とオーラを持っているとしか言いようがない、みたいな部分がある。
もちろん、ダークファンタジーとして面白いとか、死と隣り合わせの緊張感だとか、ヒロインが魅力的とか、まあそういった部分部分に関しては色々と言えるのだろうけれど、総体として、一言二言でズバッとこの作品の魅力を語るというのは、なかなか難しい。
「なんだかよくわからないけれど、妙なオーラがある。」としか言いようのない作品で、細かい事実を並べて、一つ一つその魅力を語っていくということはできても、この作品の本質を掬い上げて大雑把に語るというのはできそうにない。
なので、細かい事実を拾ってそれぞれの魅力を述べたいと思う。



・死と隣り合わせのダークファンタジー

ダークファンタジーという言葉に対してはあまりなじみがなく、いまいちピンとこないというか、あまり使い慣れていない言葉なので、できれば使いたくなかったが、この作品名で検索すると、この「ダークファンタジー」という言葉を使ってこの作品を評している文章をちらほら見かけるので、真似して使ってみた。

ようするに、緊張感のある・死と隣り合わせの・リアルよりの、作品ということだ。
人間の死というものがわりと身近なものとして描かれているし、戦闘シーンも、ほんの少しのミスでパーティが全滅しかけるような緊張感のあるものとして描かれている。



・主人公はモブであり弱者であり凡人

じゃあなぜ死にやすいか、いや、死と隣りあわせなのかといえば、主人公たちのレベルがあまり高くないから、この一言に尽きる。
普通の、ファンタジー作品やRPG作品における脇役みたいな人たちが主人公を務めている。とてもではないが魔王を倒せそうにはない、それどころか、魔王直属の幹部クラスの魔物とエンカウントしたら即死だろう。
いわば凡人よりの主人公たちであり、RPGで訪れる村を守っている冒険者のちょっと上くらいのレベルだ。
RPGの主人公たちと共闘するとか、そんなレベルにさえない。彼ら(勇者たち)は次元の違う高みの存在として描かれる。

そんな、いわばある意味普通の人たちの物語だ。
しかしこれは、よくあるお話であると同時にかかせないものではなかろうか。
勇者たちが魔王を討伐するために旅を続けるには、彼らのような存在が不可欠なのではなかろうか…。
RPGでは、あまり表現されることはないが、彼らの旅がつつがなく進行するためには、底辺の冒険者たちが、黙々と雑魚狩りをしてくれることが必要なのではあるまいか。

そういったことを考えさせる。



・失禁癖のある女神官が良かった

いやこれはもう本当によかった。
本編においては二回ほどもらしてくれるんだけど、いずれもここぞという場面でもらしてくれるので、おもらしが無駄になっていなくて、見ていて満足感が高い。
また、色に関してもやや透明がちなリアルおしっこ路線であり、安易に黄色くしないスタッフの硬派な姿勢は、アニメエロゲ問わずみんな見習ってほしいと思う。

また、この女神官ちゃんが最高に魅力的なキャラというのも大きい。
ロリではないけれど全体的に小柄な女の子で、すごくかわいいんだけど、妙に母性を感じさせるものがあり、すがりつきたくなる。抱きしめたいというよりもすがりつきたいという感じ。
なんかもう意味もなくすがりつきたいなって思うわけ。

この女神官ちゃんの魅力に引っ張られて視聴してしまったという部分も結構大きくて、シリアスドックタグ制ダークファンタジーとしての魅力だけではなく、キャラの魅力も大きい。
特にパーティーメンバーの、女神官と金床はおそらく人気を二分するだろう。俺は当然女神官派だが。

エルフといえば彼女の吐瀉はよかった。
とてつもなく自然な吐瀉演技で、ああこの娘は今吐いてるんだなと聞く人に思わせるナチュラル吐瀉演技で、中の人は本当にすごいなと思ったものだ。
残念ながら一回しかないが、圧倒的ともいえるリアルさと自然さが聞くものことごとくを魅了するナチュラル吐瀉演技だった。とても良かった。

また、演技といえば、女神官ちゃんが肩を喰われて絶叫するシーンでの小倉唯の演技はただただ神の一言。
どっから声出してんだこいつ?、と思わせる神演技で、これだけでも見る価値がある、いや、聞く価値があると思わせるような絶叫演技で、普段絶叫というとエロ方面のイメージしかないけれど、こういうタイプのシリアスガチ絶叫もとてもよいものだなと、思った。



・若干人を選ぶけれど

若干人を選ぶけれど、良い作品だった。
とりあえず、RPG好きは見るべきだと思う。勇者だけでは世界を救えず、彼らのようなモブが見えないところでこっそり世界を支えてくれるからこそ、勇者は旅をできるのだなということが良くわかる。
そうすると、今までとは違った目でRPGを見ることにできる。
名も無きモブのおかげで世界は成立しており、無数の人間の影の努力で勇者の旅は成立しているのだ、と考えると、無数の村や町が欠かせないものに見えてくる。

考えてみれば当然のことで、武器屋がなければ武器を買えないし、宿屋がなければ回復もできない。
町があって村があって、宿屋で回復できるのは当然と思い込んでいるけれど、モンスターが徘徊する危険な世界で、ああいったインフラを維持し続けるのは想像以上に大変なことだろう。
そういった意味でモブ村人の皆さんには頭が下がる思いがするし、そこかしこにモンスターが湧き出る世界というものは、結構綱渡りで存続しているんじゃないかなあ、と思うようになった。

RPG作品の作中人物に、よく、世界の危機だとかなんだとか言われたりするけど、一プレイヤーとしてはそういったお約束に慣れてしまっていて、はいはいそうですねと冷静に聞き流してしまったりするものだが、この作品に触れてからは、少しばかり真剣に聞くようになるかもしれない。
多くの人間がかろうじて支えている世界、その世界の命運を担うことになると考えれば、今まで以上にRPGに対する熱が高まるし、襟を正してプレイしよう…という気になるかもしれない。

とにかく、今まではあまり考えなかったRPGの一側面について考えさせる内容で、しつこく言うけれど、RPG好きは見るべきだろう。
また、RPGが特に好きでなくても、シリアス失禁ダークファンタジーとして良い出来なので見る価値はあると思う。
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とにかく楽しかった。頭空っぽにして笑えて楽しく見る事のできる傑作エンターテイメント。作画がどうとか、シナリオがどうとかよりも瞬間瞬間の「楽しさ」が他作品に比べぶっちぎっていて、よい作品だと迷いなく言える。こういう作品に対しては解説も分析もなにもなく、とりあえず楽しかったといえばよいのだ、それ以上はいらないだろう。めぐみんの声の人の演技はよかったし、ダクネスはエロいし、アクアは駄女神かわいい。それでよいのだ。2期も楽しみだ。
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なんというか、なんとなく見てしまった。これといって魅力があるというわけでもなく、話の内容が面白いわけでもなく、ただ単に、異世界の住民に現代のメシを食わせて「ウメー!」と言わせるという、ほんとにそれだけの内容で、話が面白いとか次が楽しみということは全くなく、ただなんとなく見てしまった。「面白いか?」と問われても、迷わず肯くということはないし、人に勧めることもこの先生涯ないだろう。しかし、なにも考えずにただなんとなくアニメを視聴したい・・・、という時にはちょっとだけおすすめかも知れない。とりあえずアネッタが可愛かった。
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アイドルアニメというよりも、アイドルと言う題材を扱って学園青春ドラマを描いたと言う感じか。
アイマスのアニメを見て、アニメで描かれるアイドルもよいものだなと思い、ほかのアイドルアニメも視聴してみようという事で、とりあえず人気があって知名度も高いこの作品を視聴してみた。
この作品、まず目につくのが、アイドルが学生をやっているわけではなく、学生がアイドルをやる、という点だ。
どういうことか、というと、この作品世界においては、スクールアイドルという、学生であると同時にアイドルであり、しかもどうやら非商業で仕事にしているわけでもなく、いわば趣味のようなものとしてアイドルをたしなむという、独特の概念が普通に成立しているらしく、アイドルがまだ学生なのではなく、学生がたまたまアイドルをやっているという感じなのだ。
したがってというか、当たり前なのだが、ヒロインたちは全員学生であり、学校内での描写も多く、いや多いどころかほとんどはそうであり、アイドルモノというよりも、学園青春ドラマにアイドルという要素を加味してみたという印象をもたらす。
従って、アイドルという職業を選び取った人間の悩みや悲しみそして喜びが描かれるというよりも、学生がアイドルという題材を選び取って、そしてそれに対して青春を燃焼させるという感じであり、アイドルという題材は例えば他のスポーツであっても代替可能なものに見える。

第1期という事もあり基本的には仲間が集まる描写が本編の大部分を占め、そして、彼女たちがチームとして形を成していくというのがこの作品の見所と言えるだろう。
この点、例えば、アイドルマスターとは対照的で印象深かった。
仲間が集まる、いや、集める過程そのものが物語になっており、しかも、彼女たちはそれぞれに個性的で厄介な性格の持ち主もおり一筋縄ではいかず、そういったヒロインをまるまる一話あるいは二話使っておとしてゆく、というのがこの作品の前半のノリであり、なかなか丁寧に描いているなという感じで、ゆったりした気分で視聴することができた。
ここら辺は結構好印象で、何よりも、キャラクターに対する描写の丁寧さというか、きちんと時間をかけて描写し、きちんと顔見世をするという親切さは良いと思った。
おかげで、登場人物が多すぎて、把握できないなんて事にはならず、九人という人数はやや多いかな?と思わないこともないが、意外に気にならない。
そういった丁寧さや親切さというものはこの作品に対する好印象の大部分をなしている。

仲間が集まって以降は合宿したりライブしたりと、順当に物語が展開してゆくのだが、1クールという事もありやや詰め込みすぎなのではないかと感じた。
ペースそのものが急に早くなったというわけではない、物語の展開がやや早すぎるというか、問題の解決にややと唐突さを感じてしまい、それがやや詰め込みすぎという印象をもたらしたのだろうか。
これは多少説明を要する。
じつをいうと、はなから2クールの作品だと思い込んでいたのに、十話を見終ったあたりで1クールの作品であると知り、これどうするの?、と思ったこと。
この時点で、いわば、この作品に対するひとつの先入観が形成されてしまったようだ。
2クールだと思って山場はまだ先と考えながら視聴していたのに、実は1クールと知り、えっ、となる。
こういったことによってこうむった精神的影響は、作品に対する評価にもどうしても影響を及ぼす。
やや詰め込みすぎなんじゃね、と感じたのは、そういった個人的事情にも大きく左右されているかもしれないということ。
従って、自分がこの作品に対してやや詰め込みすぎと感じたというのは、そういったバイアスがかかった上での感想であり、話半分ぐらいに聞いてくれないと困る、というのがある。

が、しかし、逆のことを言うようだが、そういったバイアスがかかってない状態で視聴したとしても、やや詰め込みすぎと感じた可能性は高いと思う。
問題は、物語のペースにもなく、物語の展開が急というのでもない。
先にも書いたとおりペースそのものは、やや早くなったかなという程度であり、物語の展開そのものも自然というか、そこまで急展開と言うほどではない。
ではなにが問題かというと、問題の解決の仕方、もうそろそろ1クール終わるから問題にケリをつけとかなきゃ感というのがあり、そこがやや気になった。
小鳥のアレにしろなんにしろもう少し引っ張って丁寧に解決してもいいんじゃないの?、と感じてしまったというのがある。

とくに、主人公が終盤トラブルをおこし、落ち込んで、仲間内もギスギスして仲のよい友達ともどこかギクシャクするという展開は、そうさっくり解決してしまっていいのかなと思える「重さ」を感じた。
もう少し引っ張ってねちねちやってもいいんじゃない?、っていう。
なにか、後もうすぐで最終回だからここらで無理にでもけりをつけとかなきゃ、みたいな感じが、画面越しにひしひしと伝わってきてしまい、おかげでやや興ざめな感があった。

とまあ、こんな感じで、手放しで面白いと感じたというわけではないが、総体としてはそこそこ楽しむ事ができたし、学生の青春をアイドルという題材を通してごくごくまっとうに描いたまっすぐな作風は、さわやかで見ていて気持ちがよかった。
とりあえず、2期も見てみるつもり。
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・前作との違いと、本作の個性

同じアイドルマスターシリーズとはいっても、前作とはアイドルに対するスポットの当て方に違いがあり、
印象としては、かなり違う作風の作品だなという印象を受けた。
もちろんパッと見は非常に似通った印象をもたらす。
絵柄からして非常に似ているし、素人の自分には似たような傾向の絵という感想しかわかない。
演出面においてもそれはいえる。
艶やかで華やかな、アイドルという存在を輝かしく描く演出は今作も健在で、
作中に歌が印象深く使われるし、わざわざ歌のタイトルが表示されるという心憎い演出もいつもどおり。
けれど、だ、何か根本的な部分で違いを感じないだろうか。
こういった、直感によって把握された感覚的なものをきちんと言語化するのは非常に難しく、
どうしても曖昧な説明になってしまいがちだが、書いてゆく中で考えがまとまり、その『感覚』を朧気ながらつかめるときもある。
だから、特にあてはなくとも、だらだらと書き続けてみよう、この作品とあの作品の違いについて。

例えば、前作にあって本作になかったもの、それはみんな一緒という家族感だ。
前作がチームの話であったのに比べ、この作品は、個人が寄り集まってチームを作っているという趣があり、
チームの絆というものはそこまで絶対的なものではない。
いや、絆というと語弊を生むだろうか、
他に適切な言葉が思い浮かばないため、絆のようなものという、曖昧な言葉遣いで許して欲しい。
これは例えるならば、戦隊ものとライダーの違いのようなものといえば伝わるかもれない。
戦隊モノがあくまでチームの話であり、チームという枠組みの中に個人が居るのに比べ、
ライダーは個人の物語であり、ときにチームを組み、ときに手を結ぶことはあれども、
そういった場合の「絆のようなもの」は、絶対的なものではなく、
それこそ時と場合によって、チームは崩壊したりメンバーが入れ替わったりする。
だから、龍騎のようなひとり一チームという極端な作品が出てくる余地もあるわけだ。
この比喩が適切かどうかあまり自信はないが、この作品がチームよりも個人に焦点を置いているという事が伝わればそれでいい。

じっさい作中では、彼女たち個人が、自分の進む道や自身の適性を探し求めるという描写があり、
それもそういった描写が目立つというレベルではなくて、物語の中心に据えられているといってもよいくらいだ。
そして、そこにいる個人が、自分で考えて自分で結論を出すという描写も負けず劣らず目につく。
そしてその結果が、色々な動揺を引き起こすわけだが、チームを絶対視しないこの作品においては、それは当然の帰結といってもよく、
個人の物語、つまりは「彼女」たちの物語と考えるならば、後半の展開は妥当であり、ごくごくまっとうな展開ではないか、とも思える。
つまり何が言いたいかというと、戦隊モノよりライダーが好きで、前作より本作のほうが好みだ、という事だ。



・アイドルとしての覚悟

また、もうひとつ気になったのは、彼女たちの覚悟のなさ、
いや、無いなどと言うと言い過ぎになるだろう、アイドルとしてやっていく覚悟が生半可に見える、と表現すればよいだろうか。
つまりは、彼女たちの良くも悪くも普通な部分が目についたという事だ。
普通の女の子が覚悟を決めてアイドルになり、いや、アイドルになろうとする覚悟を決めるという過程が、丁寧に描写されており、そこが印象に残った。
もしかしたら、人によってはまどろっこしく見えてしまうかもしれない。
さっさと覚悟を決めて、足を踏み出せと、イライラしながら視聴した人もいたのかもしれない。
しかし、だ。
考えて欲しい、このタイトルの意味を。
これは普通の女の子の物語、シンデレラたちの物語なのだから、こういった描写・展開は妥当でありこそすれ、決して非難されるようなものではないはずだ。
むしろ、もっともっと執拗に描いても良いと思ったくらいだ。
もっとも、そうなったらそうなったで、作品全体のトーンが暗めになり、アイドルの物語じゃねーぞこれ、という事になりかねないので、このくらいのシリアス度がちょうどいいのかもしれないが。





(ここから先、ちょっとだけネタバレ)

・灰かぶり

この、「覚悟」というテーマを一身に体現していたのは、説明するまでもなく卯月である。
彼女に対する最初の印象としては、出てくるキャラクターたちの中でもっとも非凡なキャラという感じだった。
たった一人になっても養成所を辞めず、トレーニングをして時を待つ、という根性といい、
基本的には全てを笑顔で受け入れる菩薩っぷりといい、主要キャラの中では、最も現実離れした超人キャラだなあ、などと思ったりしたものだ。
が、しかし、よりによってこのキャラクターが、ある意味ではもっとも凡庸で、そして平凡なだけに胸を突くような悩みを曝け出すというのは、意表をつかれた。
これはもう、スタッフさんに完全にしてやられたという、心地よい感じだけがある。
そして、彼女の悩みそのものも非常に共感しやすいものではなかったろうか。
少なくとも自分は、23話を見たときに胸をつかれるような思いをあじわった。

恐らくこれは誰しもが共通に持つ悩みというよりも、トゲのようなもので、それも抜こうと思っても抜く事のできないトゲなのだろう。
だからこれは、解決するというよりも、この先も付き合って生きていくということしかできないし、安易に解決に走ろうとすると、あまりよい結果にはならないのだろう。
だからこそ彼女の決意とその勇気には、賞賛を惜しまない。
自身の空っぽさを正直に曝け出し、自らの夢も描かず空白のまま、それでも、生きていく、アイドルになるために、あるいは、なろうとするために。
これは決して問題の解決がはかられたわけではなくて、そして、先送りにされたというわけでもなく、
大袈裟な言い方をすれば生きていく決意を固めたということだ。
アイドルになる、というよりも、なろうとする事、絶えずその過程に居続けること。
輝きたいという思い、その美しさそのものがアイドルの輝きそのものではないか、とこの作品は伝えようとしているように思える。



・星に願いを

「星」に何も書かない卯月が好き。
書かないというよりも書けないのだろう、しかし、そういった自分を正直に表に出す卯月が好きだ。
誤魔化したり、嘘をついたりせず、空っぽな自分を正直に表に出すということ、これはなかなか勇気のいることではないだろうか。
これは彼女の勇気というよりも真っ正直さと解釈したほうがよいかもしれないが。
もしかしたら彼女には、嘘をついたり誤魔化したりするという選択肢そのものが思い浮かばなかったという可能性さえある。
だとしたら、これはやはり主人公だなと言わざるを得ない。
もっとも非凡に見え、特別な存在に見えた彼女が、実はもっとも平凡で普通の悩みを抱えていた事を吐露するが、その真っ正直さ、心の真っ直ぐさはやはり非凡と言わざるを得ないし、特別な存在なのだなと思わせる。
やはり彼女はスポットライトを浴びて舞台の上で輝くべき存在だ、そう思う。

これは普通の少女が、アイドルになろうとするまでの物語。
やはり、この作品の主人公は卯月だ。
彼女は確かに普通の女の子、ただの灰かぶりかもしれないしかし、彼女は彼女自身の普通さを正直に吐露する事によってアイドルへの階段を登った。
いわば自分で自分に魔法をかけたのだ。
これは、普通の人間ができることではないし、やはり彼女は特別な存在なのだなと思う。



原作ゲームファンからの一理あるツッコミ
アイドルマスターシンデレラガールズ第23話感想/彼女には自身の空虚を語る資格があるか
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