カラスっぽいブログ

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カテゴリ: 文学


限界小説研究会による、21世紀の「戦争」と「セカイ系」をテーマとした批評集のようなもの。基本的には、政治や経済の分析ではなくて、9.11以降のテロの時代において、映画やアニメといった「作品」がどう影響を被りどう変質したかを論ずるというスタンスだが、あまり統一感は感じず、各論者がそれぞれ興味のあることを好き勝手に論じるという、良くも悪くもまとまりがない本という印象を受けた。
とはいっても、いくつか印象に残った論考はあるし、読んで面白かった本なので、統一感はなく興味の方向性はバラバラだけれども、読んで損したとは思わなかった。





個人的に一番印象に残ったのが小森健太朗のふたつのアニメ論で両方とも面白かった。

ひとつは、W種00の三作品を扱った「Wから00へ」で、作品が時代からどんな影響を被り、そしてどんな風に消化したのかを分析した論述で、テロと戦争の描き方や扱い方とという観点からこの三作品を論じている。
この三作品は「それぞれに、9・11テロの以前、最中、以後を反映した興味深い物語」(P90)となっており、作品が時代に与えた影響ではなくて、作品が時代からどんな影響を受けたのか?をテーマにしており、言われてみればなるほどなあという納得感がある。

この三作品ともに「平和主義者」が出てくるが、Wのリリーナ、種のラスク、と違い、00のマリナは完全に無力な存在として描かれている、という指摘も面白い。
いわば、「時代」の影響を被ったおかげで、脳天気な平和主義者が出てきても作品世界の現実に対して影響を与えることができなくなってしまった、と。言葉を変えれば、00においてはそれだけ現実的な物語になっている、ということだ。

小森健太朗がこの三作品の中で一番評価しているのが00でその理由としては、「ストーリーも設定も最もよく練られていて、完成度が高い。」(P84)とあり、これも納得。自分もこの三作品の中なら、00が一番印象に残っているし、そこそこ面白かったなあ・・・という記憶がある。これが種なんかになると、あんま面白くなかったのでどんな話だったかほとんど覚えてなかったりする。

ただ、沙慈とルイスのエピソードと描写にたいして批判的なのは意外だった。「物語の中で、ルイスと沙慈のストーリーは奇妙に本筋から遊離している感がある。」(P89)「ルイスと沙慈の話を全部削除したとして、本筋の戦争ドラマには大した影響を与えないと思われるからだ。」(P89)これは確かにその通りなんだけど、自分なんかはほぼ同様の理由でこの二人の扱い方が面白いと感じたんだよね。
「本筋から遊離している」のは事実としても、平和と戦争がお隣同士という現実を描く上ではむしろ、こういう描写の方がよかったのではないかと思われる。そういう意味で一期における沙慈とルイスの描写とその物語内での扱われ方には妙なリアリティを感じたし、印象に残っている。
また、「本筋の戦争ドラマには大した影響を与えない」というのも確かに事実でこのことに関しては反論できないが、しかし、作品の持つリアリティや物語の膨らみに対してはプラスの影響を与えているのではないか、と思う。
沙慈とルイスに関しては、特に一期においてのその異物感、みんなが一生懸命ドンパチやってんのにイチャラヴという描写が、本筋と戦争から遊離していて逆に面白い、と感じたんだよね。



もうひとつは図書館戦争批判なんだけど、これも面白かった。

図書館戦争に関しては、小説もアニメも触れたことがなく、大ざっぱな概要を知るのみなので、小森健太朗の批判がどれくらい妥当なのか?、ということに関しては判断できない。
なので、ここで書かれている図書館戦争というコンテンツの特徴が仮に正しいと仮定して話を進めることにする。

例えば、オウム真理教やエヴァのNERVみたいな感じの閉鎖的でなんらかのドグマを一心に信じ込んでいるような、外側からみるとヤバげに見える団体というのがある。
この作品に出てくる「図書館」側の人間というのも、なんかそんな風な感じの人たちとして描写されているらしい。


「図書館を舞台にして検閲と表現の自由をめぐる相克と対立を描いた物語である『図書館戦争』連作は、異なる価値観がぶつかるといった対立軸が明確に持ち込まれていない。」(P138)

「『図書館戦争』の世界が〈モナド〉的と言えるのは、主人公たち正義の集団の外部にある、価値観を共有しない存在に関して、筋道立った〈論理〉を持つことをまったく許さず、ただただ、理不尽で、〈モナド〉内部の楽園を乱すものとしか措定されていないところだ。」(P146)

「〈良化委員会〉の〈検閲〉には、〈自由〉を旗印に抗戦するが、図書館内部に違う価値観をもった、同じ本を愛することができない者がいるときには、その者の〈自由〉を容認することができないダブルスタンダードと狭量さがこの主人公たちの対応には見え隠れしている。」(P150)

「隊員が命を落としてまで本を守り通したことを是認するほど、人の命より本が大事であるという転倒した価値観を図書隊は信奉するようになっているのだろうか。このジレンマに対して、作中で明確な主題的な提示はなく、その点に関する主人公たちの対応や価値観は、曖昧で不明瞭なままである。」(P155)

「本好きの共同体=〈モナド〉が、国家国民の普遍的な支持を得て、国家そのもののバックボーンをも得て、なおかつその〈自由〉を脅かす〈検閲〉存在への銃撃と抹殺を敢行している。」(P155)


とまあこういう感じで、絶対的な信念を持った正義側の組織VS理屈も生態も不明なわけわからん悪、という良くも悪くも今風な構図の作品らしい。
なにしろ未読で未視聴なので、小森健太朗のこういった分析が正しいのかどうかは判断することはできないが、とりあえず面白そうだなと思ったし、アニメ版だけは見てみようかなと思った。



あと巻末にゲームアニメ映画などの作品ガイドがあり、これが地味ながら結構よかった。このリストを参考にして触れた作品もいくつか有り、とても役に立った。
できれば、限界小説研究会編で、一冊のブックガイド的なものを作って欲しいなあと、思ったり。

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アーサー・C・クラークのハヤカワ文庫のザ・ベスト・オブ・アーサー・C・クラーク全三巻を読んだので感想を記す。
クラークの作品というと幼年期と短編集一冊ぐらいしか読んだことがなく、あんまり明確なイメージはなかったんだけど、この三冊を読んで、この作家の芸風がそこそこつかめたように思う。
全体的にシリアスよりで、やや宗教的という感じだろうか?
人類や宇宙の行く末を描く作品が印象に残った・・・、といっても、これは自分にとって印象的な作品が、たまたまそういう作品ばかりだったということもあると思う。





以下は、印象に残った作品にたいする感想。

太陽系最後の日
傑作。人類ナショナリズムな作品なので、よくよく考えると、人類が人類向けに書いて人類が喜ぶという、日本スゲー系ならぬ人類スゲー系の作品なので、素直に感動して良いのかなと思うけれど、実際感動してしまったのだから仕方がない。延々と絶望を描きつつ、最後の最後で斜め上の「希望」を読者に見せつけるという、小説としての上手さも、印象に残った。

地中の火
なんか好き。想像できなさそうなものを、あえて想像するという意味では、とてもSFらしいSFなのかも。ただ、人類滅亡の原因がいまいち分かんなかった。マグマが噴出したのかな?理系ならわかるんだろうか?

歴史のひとこま
多分再読。超絶バカバカしいラストのオチが印象的な短編だが、前半における、滅びの光景の真に迫った迫力ある描写が非常に印象的で、詩的でさえあった。

守護天使
この作品が面白いのは、キリスト教徒特有の「神が見ている」という感覚が、異教徒にもちょっとだけわかるところだ。神が私を見ているとは、要するに、超進んだ文明を持った宇宙人に監視されているかも知れない、という感覚と似たようなものなのだろう。そんな風にたとえてみればちょっとだけ理解できる。そういう意味で、これはとても宗教的な作品じゃないかと思った。最後のオチがなかったとしても。

前哨
前に読んだ記憶があるけれど、とてもSFらしいSFだな、と思った。

90億の神の御名
世界の終わりを詩的に描いた作品。独特の美しさがある。

夜明けの出会い
ロマンあふれる架空歴史短編。ワクワク感がある。

最後のオチで、ゾッとしてしまった。もし自分がキリスト教徒だったら、このオチを見て腹を立てたり不愉快になったりするのだろうか?幸い異教徒なおかげで、普通にエンタメとして楽しむことができたが。

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主体性とは何かについて答えることはできても、主体性を教える事、これはなかなか難しい。主体的であれと他者に望むこと自体が相手から主体性を奪う事ではないか?この問いから全ては始まる。長々と語られるのは、主体性を教えることがいかに難しいかということ。ただそれだけを延々としつこく語り続ける。たった一つのテーマを執拗に追い続ける割には結論は出ず、最後に示される主体性とは何かについての解答も、何だか拍子抜けする部分がある。しかし、この本は結論よりも過程に価値がある本なので、これでよいのだろう。ところで、サッカー日本代表の歴史から主体性を語る終章は、単体として見てもよくまとまっておりこの本の総決算的章なので、全部読むのがめんどい人はこの章だけでも読んで欲しい。

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解説によれば、北川歩実の作風はアイデンティティを揺らがせるのが作風らしい。
この作家の作品を読むのはたぶん二冊目だが、かつて読んだ本は短編集なうえに代表作でもなかったらしくさして印象に残っていない。よくあるというか、それなりの質をたもったミステリ短編集という感じで、読んで損をしたとは思わないものの、かといって得をしたとも思わなかったものだ。

さて、この作品は解説の笠井潔によれば、第一期を代表する傑作らしい。
分厚い分量に人類のアイデンティティという骨太なテーマを扱った本作だが、事実傑作だと思う、読んで得をしたと思える作品だ。
良質なミステリ作品というものは、ただたんに驚かせるだけでなく、ほんの少しだけものの見方・世の中の見方を変えてしまうような魔力を持っている。トリックを理解しすべての真実が明らかになったその瞬間、自分自身のなかにある物事を見る上での偏向に気づかされるわけだ。
そういった意味で、この作品は良質なミステリとしての資格を十分備えている。一読して、「人類のアイデンティティ」に対し少しばかり疑うようになってしまった。果たして「人類」であるという事はそれほどまでに自明な事なのだろうか?、と。

人間とそれ以外を区別する指標は何か?
色々な区別があるだろうが最も決定的で、そして、人類が鼻にかけているものは知性だろう。そして、その知性を証し立てるものとして言葉と文法がある。言葉を使い文法を操る、それこそが万物の霊長である人類の証である、と。
しかし、逆にいえば人類が人類なのは、その程度の根拠しかないという事だ。
この作品は人類と猿を対等に扱っている、対等に扱うという事がどういう意味か?、それは読んでもらうしかないが、切れ味鋭い真相とともに、読者の手には重い問いが残される。
人類とそれ以外を分かつものは何か?、と。

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要するによくある外国人の日本体験記あるいは日本文化論であり、似たような書物は中身の薄い本であれ濃い本であれ、少なくて探すのに困るという事はなくむしろ、1ジャンルをなしているといってもいい。
こういった内容の本は外の目から日本の特異性をあぶり出し読者に提示するという面白さがあり、それはそれで魅力的だが、ある程度こういった本を読むと、外国人の驚くポイントがそこそこ予想できるようになってしまい、類書を読めば読むほど驚きも発見もなくなってしまうというのがある。
もちろんだからといって面白くないという事はなく、日本のもつ特異性と普遍性を確認するという意味では面白いし、著者独自の見解や新しい発見に出会うこともあり、決して読むのが無駄とは思っていない。
ただ、新鮮な驚きというものにはなかなか出会えないし、外国人が日本に対して持つ驚きや感想というものも、ある程度予想はついてしまうので、凡庸なものを読まされると、ふ~んとしか思わなかったりする。

この本も著者独自の見解やオリジナリティ溢れる発見があるかというとそうでもなく、コミュニケーションの違いにしろなんにしろ、きっと外国人ならば戸惑うだろうなという事に戸惑い、そして、問いや疑問を発している。
そういった意味で、文化論あるいは日本論として印象に残ったわけではない。レベルが低いというわけでは決してなく、それなりに読み応えがあり、先輩からものを借りるときに私物だといわれて借りたのをその意味がわからず、うかうかと長期間借りてしまい、友達から注意されてやっとその意味がわかった、などというくだりは非常に印象に残ったりする。
ただ、これもよく言われるような、空気あるいは場の文脈に過度に依存した日本式コミュニケーションがもたらすカルチャーギャップであり、例そのものが新鮮で面白かったわけで、外国人が日本式のコミュニケーションに戸惑うのは想定内といえば想定内の出来事だ。

この本の魅力は日本文化論の部分にあるのではない、十分そこも魅力的だがしかし、この本の本質は一人の女性の書いた異文化体験記であり、魅力と価値はそこにこそある。
何よりも好感を覚えたのは、作中で発せられる疑問にしろ感想にしろきちんと地に足がついていて上滑りしていないところだ。
それはもちろん体験に基づいているからといえばいえるが、理屈やイメージや先入観を振り回さず、自分の感じたこと経験した事から「なぜ?」と疑問を発し、演繹的に考え記述されているからこそのものだろう。

この本は、外国人が見た日本を描いたというよりもディオンが見た日本が描かれており、それこそがこの本の価値であり個性である。文体と内容から著者の人柄が見えるところこそこの本の最大の魅力であり、読み終わった後は誰しもが著者の飾らない人柄に対して好感を抱くだろう。
できればこの人の書く文章をもっと読んでみたい、岩波はもっとこの本を宣伝するべきだろう。


著者に対するインタビュー
『東大留学生ディオンが見たニッポン』のディオンさんに聞く、留学のすすめ

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「悪魔」というのは通常実体を持ったものとしてイメージされる事が多い、しかし、この作品の悪魔観は一般的なそれとは違う。

「そう、悪魔は埃に似ています。部屋のなかの埃には私たちはよほど注意しないと絶対に気がつきません。埃は目だたず、わからぬように部屋に溜っていきます。目だたず、わからぬように……目だたず、わからぬように……。悪魔もまたそうです。」(P9)

「まるで埃のように」、これは人間の悪意と言い換えてもそんなに間違ってはいないだろう。
一応ミステリ作品ではあるものの、ミステリという皮を被った他の何かだと思えてしまうのは、おそらく、この作品が悪魔について書かれた小説だからだろう。



ミステリ作品は通常、誰が犯人かという謎が物語を牽引する、この作品も例外ではない。
4人の女医のうち誰が「悪魔」なのか、というのがこの作品における「謎」であり、その謎が読者の興味を繋ぎ、推理させ、物語を牽引し、ページをめくらせる。
読んでいて奇妙に感じてしまうのは、4人の女医のキャラ分けがいまいちできていないというか、見分けにくいところだ。
ある程度個性が設定されてはいるものの、骨はあるけど肉付けに乏しいという感じで、いまいち印象に残らない。
ただ、これも最後まで読むと、きちんとした伏線だったのだなと気づく。

犯人は意外な人物でならなければならない、これはミステリの鉄則だ。
意外な人物でなければ驚きも存在せず、驚きの存在しないミステリなど、果たして何の価値があるのか、という事になってしまう。
そういう意味では、この作品の真犯人に対して意外性を感じることはなく、ミステリとしてはどうかという感想が出てくるのも無理ないことだろう、しかし、自分としてはむしろ、驚きがない事自体が驚きである、と言いたい。
どういうことか。

なぜ真犯人が明かされても驚きがないのか?
それは意外性がないからだ、そしてなぜ意外性がないかといえばそれは、彼女がいかにも犯罪を犯しそうだからではない、4人のうち誰が犯人であっても違和感はないから、だからこそ驚きがないわけだ。
驚きがない事が驚きというのはつまり、心優しい女医たちのうち誰が犯人であっても、一向に違和感がないと思っている自分自身に気づいてしまうという事だ。
だからこそ、この作品には驚きがある、と主張したい。
いつの間にやら、女医の誰が悪魔であろうとおかしくないと、読者に思わせてしまうからだ。



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まだまだ占いや観相が生きていた古代の時代の物語。一応ジャンル的には歴史小説に属するものの、その読後感はまるで、上質な昔話を読んだような感じがある。数奇なというしかない二人の姉弟の運命を扱った作品で、歴史小説につきものの政治や戦争の話は少なめだが、そのぶん独特の情感にあふれており、新鮮な読感がある。少し大袈裟な言い方をすれば、これは人間の運命を描いた物語だ。だから歴史物語であると同時に、神々は出てこないものの、神話物語のようでもある。塞翁が馬という言葉が好きな人は読むべきだろう、そして、分量的にはやや短めの長編なので、宮城谷入門としてもお勧めだ。

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 ・長さ
ミステリ史上最大にして最長の作品として知られる本作は、長いにもかかわらず長いと感じさせないとても読みやすい作品だった。
おそらく、大多数の人が手にとる前にその長さを目にして躊躇するだろう、しかし、思いのほか、この作品は長いと感じさせない作品だった。
単純に面白いから、というのがその理由だが、不思議なくらいに読者の興味を引っ張り、ぐいぐい読みすすめてしまう奇妙な魅力に溢れている。
特に、一巻と二巻は、それぞれ独立したホラー小説として楽しめる構成になっており、こういった区切りのよさも、読みやすさに貢献しているのだろう。

さて、この作品はなぜこんなにも長いか、だが、あとがきで作者が書いているように、これくらいの規模の謎を描くためには、これだけの長さが必要とされたのだ。
要するに何が言いたいかというと、いたずらに長いだけというわけではなく、むしろ無駄がない引き締まった作品といってもいい、ということだ。
これは本当にもう、読んでくれなきゃ分からない事だけど、読んでいる最中は「長い!」とか「まだ終わらないの?」といったことは全くといってもいいほど感じなかった、すらすら読みすすめてしまう。
これだけ長いにもかかわらず、読者の興味をぐいぐい引っ張る作者の筆力には脱帽するしかない。


・悪の度合

また、真犯人のどうしようもないくらいの悪人っぷりも、もはやここまで来ると清々しいといってもいいくらいの悪っぷりで印象に残った。
悪に見えるけど色々な事情があるっ!、的な相対主義的な言説が全くといってもいいほど通用しないような、どっからどう見ても悪としか言いようのない悪なので、作中で描かれる残虐な殺人事件の数々に見合っており、奇妙な説得力を持っている。
こういった、人情やらヒューマニズムやらをまったく受け付けないような真犯人とその動機は、多少好みの別れる作風なのかもしれない、がしかし、俺は結構好きだ。
「悪」を描いた作品として見ても結構面白い。


・複雑な殺人とシンプルなトリック

ミステリに対する理想のひとつとして、複雑怪奇でとてもではないけれど解けそうにない事件が、シンプルで分かりやすいトリックによって成り立っている、というのがある。
複雑な事件を複雑に解くのならまだしも書くのは容易いだろう、しかし、複雑な事件を支えるのが、拍子抜けするほどシンプルなトリックによって成り立っているというのは、言うは安し行うは難しで、中々見かけないものだ。
この作品は、その理想をかなりの程度実現している。
本作のメイントリックは呆れるくらいに単純で、しかも中々思いつかないような意外性に満ちており、確実に読者を驚かせてくれる。
このメイントリックは、第三部辺りからかなりきわどいヒントを提示してくれるので、推理力に自身のある人は頑張って頭を働かせてみて欲しい、俺は無理だったけどね(笑)。


・まとめ

というわけで、これだけ長いにもかかわらず、全くといってもいいくらいに長いと感じさせず、すいすい読み進めることのできる作品だった。
読む前は、中盤あたりで中だるみしたり、読むのがめんどうくさくなったりするのかなあ、などと思っていたが、まったくそんなことはなかった。
多分、あまりにも長すぎて読むのを躊躇している人は結構いるのだろうが、そういった点に関してはまったく心配ないと断言してもいい。
これだけ長い作品にもかかわらず、長いと感じさせないという稀有な作品なのだから。
そして、全編読み終えると、この作品を表現するにはこれだけの長さが必要とされたということがよく分かってしまう。
だから、長さという点に関してはまったく不満はない、密度の濃い作品だった。

あとは、蘭子シリーズ未読の読者がいきなりこの作品を読んで大丈夫なのか、だが。
多分まあ、大丈夫だと思う。
出来れば一作目から順番に読んだほうがいいとは思うが、いきなりこの作品から読んでも…、理解に苦しんだりすることは…ないはずだ、多分。
ただ、出来れば一作目から読んだほうが理解しやすいと思う、これは何もシナリオやキャラに対する理解が深まるとかそういったことだけではなく、二階堂蘭子シリーズの「長さ」と「ノリ」に慣れてからの方がすらすら読めると思うんだよね、多分。
なので、いきなりこれから読んでも基本的には大丈夫だけど、ある程度蘭子シリーズに慣れたほうが、より楽しみやすいとは思う。

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二階堂蘭子シリーズは吸血の家から発表順に読み始めたのだけれど、短編長編含めて今までのところこれが一番面白かった。
このシリーズは、実に本格らしい本格と言うか、いかにも探偵小説という感じの直球の作風で、いかにもな探偵小説を読みたいと言う欲求に全力で答えてくれるのが好ましい。
この作品も、見立て殺人からはじまり宗教やオカルトに関する薀蓄、そして怪しげな館に住まう一族と、いかにもそれっぽい要素がふんだんに散りばめられている。

蘭子シリーズを今まで読んできて思ったのは、ミステリとしてしっかりしていると言うだけでなく、物語としてもしっかりしているという事だ。
ミステリ小説としてはもちろん充分合格な上に、それだけでなく、物語としても十分面白いというのが、このシリーズに対して好ましく思っている理由だ。
ときたま、ミステリとしては面白くても、物語としてはまあまあだったりする作品というのに出会ってしまったりするものだが、この蘭子シリーズは、両方の基準を余裕でクリアしている。

ミステリとして面白いだけでなく物語としても面白いものを、というのが、自分がミステリに求めているものなので、どうやらこのシリーズは自分の好みに合致しているようだ。
もちろんミステリオタクにとっては、物語として多少アレでも、ミステリとしての完成度が高ければそれで充分という事になるのかもしれないが。
自分の場合、確かにミステリは好きだが、ミステリオタクを名乗るほど好きではないと言う感じで、ただのファンに過ぎない、従って、あまりにガチガチのミステリ作品を読むとちょっとだけ引いてしまったりすることもある。
その点、この蘭子シリーズは色々な要素(ミステリとしての要素、魅力的な物語としての要素、そしてキャラ萌え)を豪勢にぶち込んだうえで非常にバランスの良い物語に仕上げており、ミステリ作家である以前に小説家としての腕の確かさを感じさせる。


さてこの『悪霊の館』だが、一言でいうと、二階堂風グリーン家殺人事件である。
なので、あの作品が好きなひとは何も言わずにさっさと読むべきである。
僧正殺人事件とグリーン家殺人事件なら後者を選ぶ人間なので、この作品には結構満足した。
殺人事件そのものの猟奇性や派手さもさることながら、舞台となるアロー館の雰囲気、うさんくさい登場人物、そして、読者に恐ろしさを感じさせる真犯人とその動機、そういったものから形作られる雰囲気の禍々しさが、何よりも心地よい。
これは魅力的なミステリである前に一流の物語であり、本格ミステリを敬遠しているような人にも読んで欲しいと思う。
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タイトルどおりマリー・アントワネットを主人公にフランス革命を描いた歴史小説。
アントワネットと王家の運命を縦軸に、サド侯爵や、オリジナルキャラのマルグリッド、暗殺者のシャルロットコルデー、処刑人サムソンなどが登場するが、そういったキャラクターの「出演」が無理なく本筋に絡めてあり、自然に読み通すことができる。

とにかく、普通に面白かった。外国の歴史を題材にした作品なので、ものめずらしさや、はじめて知る史実であるが故の面白さ、という部分もあったかもしれないが。
読みやすさわかりやすさという点について言えば、かなり高い評価を下すことができる。
やはり、作者が日本人という事もあって、日本人向けにわかりやすく書いており、つまるような場面はない。
外国を舞台にした歴史小説と言うと、少しばかり気後れしてしまうかもしれないが、フランス革命という史実を知るに当たって、手ごろで読みやすく、そして面白い小説であり、歴史を知るために小説を読むという層に対しても、遠慮なく勧めることができる。


もちろん主人公はマリー・アントワネットなわけだが、彼女の輿入れから始まり、基本的には彼女中心の物語展開であり、一人の人間の人生を追っかけてゆくという感じなので、複雑さはなく、読みやすい。
フランス革命というものを彼女を取囲む現象として描いており、この小説の副題に、彼女から見たフランス革命、とつけても良いくらいだ。
と、言うのは、中盤以降から、彼女はフランス革命という現象に本格的に巻き込まれてゆくことになるのだが、一読者の印象としては、それが少しばかり唐突というか、気がついたら国民の反感を買っていて、いつの間にか包囲されていた、という感じだったりするのだ。
つまりは、アントワネットの主観と、読者の印象がシンクロする構成になっており、これは計算したものなのかどうかはわからないが、よい効果をもたらしている。

それだけでなく、先にも述べたように、サド侯爵やシャルロットコルデーなどといった脇役が、本筋に無理なく絡む事によって、本筋に彩りを与えており、物語を単調さから救っている。
とにかく、普通に面白かった、良い小説だった。
外国の歴史をてっとりばやく知りたいという欲求に答えてくれるだけでなく、小説としても普通に面白いというのが素晴らしい。
もしかしたら、フランス革命に詳しい人間ならば、いくつかつっこみどころを見つけて冷めてしまうかもしれないが、自分のように、さして詳しくない人間の場合、そういったこともなく普通に楽しめる。
多分だけど、初心者向けの本だと思う、あまり知識がないほうが、楽しめるのかもしれない。
というわけで、フランス革命に興味があって、手ごろな歴史小説を読みたいって思っている人には、手放しで勧めることができる。

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なかなか面白い作品だった。
作者の飛鳥部勝則は、自作の絵画を作中において登場させ、それに重要な役割を担わせるという特異な作風の作家らしい。
この人の作品はこれ以外だと、デビュー作の殉教カテリナ車輪くらいしか読んでいないけれど、いずれも面白かった。
さすがは自分で絵を書くだけはあり、絵画に対する薀蓄が多く、それが作中で起こる殺人事件と自然な形で結び付けられているので、読んでいて結構楽しい。
絵画ミステリとでもいうべき独特の作風で、『絵』の意味を読み解きつつ真犯人に迫るという作風は今回も健在だ。

孤島で起きる連続殺人、そして、死体の傍には必ずバベルの塔の絵が…、という感じでいかにも本格ミステリという感じだが、自分の場合、この作品の持つミステリ面よりも人物の魅力に心惹かれるものがあり、謎めいた神秘系ヒロインの志乃ちゃんが心に残った。
冒頭からいきなり登場する彼女だが、言動がやや電波系で奇妙な印象を読者にもたらす。
この、彼女のもたらす奇妙な印象、その神秘性は、全編を貫通するものであり、彼女自身が1つの謎である。
物語は、連続殺人の謎を解きつつも、平行して彼女の謎も徐々に明かされるという構造になっており、この二つの謎が読者を牽引する。
そして、物語の最期にいたって彼女の言動の謎が明かされるわけだが、それはあまりにもストレートすぎてまったく考え付かないような意外なものだった。
ひねりがまったく無いだけに思いつかないという感じで、お見事。
連続殺人の謎よりも印象に残ってしまった。

とまあそんな感じでミステリとして面白いというのもあるがそれ以上にヒロインの魅力が心に残り、自分にとっては萌える作品だった。
どうやらこの作者は、こういった神秘系ヒロインを書くのが得意らしく(ニコニコ大百科による)、他の作品を読むのが楽しみになった。
とりあえず、神秘系ヒロインと出会いたいって人は読んで損は無いんじゃないかな。



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一応歴史小説の範疇にギリギリはいると思われるが…、解説によると史伝らしい。

小西行長という一人の武将を、想像力をつかって描くというよりも、彼はいったいどんな人間であったかという実像に迫るという感じで、映像作品で言えば映画やドラマよりもドキュメンタリーよりの作品だ。
とっつきはやや悪く、小説のような読みやすさはさすがにないが、資料を引用しつつ、じわじわと小西行長の真相に迫るその手腕は、誠実さを感じる。
また、史観というと大げさかもしれないが、作者独自の視点も光っており、そういったところも読みどころだろう。
歴史小説というよりは、エンタメ度の高い歴史書という感じで、確かにややかたい本ではあるけれど、決して読みにくいという事はなく、小西行長と朝鮮出兵に興味があるのならば、一読して損は無いだろう。

そう、この本の主題は朝鮮出兵である。見ようによっては、小西行長という人物を通して描かれた朝鮮出兵の本といっても決して間違ってはいない。
全体の叙述の割合からしてそうだ。
小西行長が出世する、いわば人生の前半期に当たる描写は全体の約三分の一であり、本の大部分は朝鮮出兵それも、文禄の役が占める。
文禄の役における小西行長といえば、その謎めいた行動、太閤に対する大胆な裏切りが有名だ。
謎は二つある、ひとつはなぜああも大胆な行動を取れたのか、もう一つは露見した際になぜ彼は無事だったのか。
この二つの答は、作中において非常に説得力のある答が提示されているので、興味のある人は呼んでほしい。

さて、作者は行長を面従腹背の人として書く。
あらゆる場所であらゆる場合に板ばさみにあってしまう不幸な人、として描いており、高山右近のような颯爽とした振る舞いができない弱い人としても描いている。
従って、というわけでもないが、人物に対しいまいち魅力を感じなかった。
高山右近のようなさっぱりした人物のほうが格好いいんだよね、その点行長はいまいち小物というか、あんま格好良くない。
へたに美化せずに史実を追求するという姿勢なのだから、当然といえば当然なのかもしれないがやはり、行長に対してあまり魅力を感じなかったおかげで、読後感はやや微妙だったりする。
決してつまらなくは無かったし、いくつか光る部分もあった。
例えば中盤、行長がとあるシーンで「泣く」んだけど、これはとても心に残るシーンだし、終盤においても、行長の努力が大地震で瓦解してしまうという場面があって、歴史というものの持つ面白さを味わう事ができた。
ただ、行長個人に対して魅力を感じたり興味を持ったりするという事はなく、はっきりいって、なんかさえない中年男だなあ、ぐらいにしか思わなかった。

もっとも、これはただたんに相性や好みの問題かも知れず、この作品そのものに欠点を感じるというよりも、俺にとって行長は魅力を感じないキャラだ、という事に過ぎない。従って、小西行長について知りたいとか、そもそも行長が好きだ、といった人には安心してお勧めできる。
ただ、どうしてもひとつツッコんでおきたいのは、作者がキリシタンなおかげで、やっぱり神って偉大ですねめでたしめでたし、みたいな感じの終わり方で、なんとももやもやしてしまったところ。
一人の人間の人生や苦労を、神やら何やらを持ってきてスパッと解釈してしまうという姿勢は、宗教家としては正しいのかもしれないが、信仰に無縁な一般人としては、それでいいの?って思ってしまう。
そんな簡単に解釈されたらたまったもんじゃねぇよ、って思ったりするんだけど…、まあこの場合は行長自身がキリシタンだから、いいのかな。
そんなこんなで、悪くない本なんだけど、ちょこっとだけ目につく宗教臭がやや鼻に付いたかなって感じ。


知人に小西行長がいたら大変だよね、という件
遠藤周作『鉄の首枷』の小西行長の裏切る人の心理



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