普段本を借りるときは事前にネットで予約して取りに行くだけで、図書館をふらふらすることはめったにないのだけれど、たまたま気が向いて、返却のついでになんとなく本棚の間をふらついていたら見つけた本。
多摩デポブックレットというまったく聞いた事のないローカル臭あふれるシリーズの12冊目らしいが、おそらく、本屋にはなかなか置いていないようなタイプの本だろう。
こういうタイプの新刊書店でも古書店でもなかなか見かけないようなマニアックな本に出会えるというのは、図書館のよいところだろう。これからは、適度に、図書館の中をふらつきたいと思う。

発行に、共同保存図書館・多摩とあるように、このブックレットは図書館が発行するシリーズらしい。
講演の記録で、50ページ弱。その内容はと言うと、図書館だけではなく、「本」にまつわる題材を手広くそしてわかりやすく適切な分量で語っており、ページパフォーマンスにすぐれた中身のある本だった。



桑原武夫蔵書廃棄問題から、話は始まる。
桑原武夫の蔵書が寄付されたものの、色々あって廃棄されてしまった、そして、その理由というのが、「桑原蔵書が市の図書館全体の蔵書と重複するところがあったから」(P5)だという。
ここから話は展開され、著者は、モノとしての本とデータとしての本の違いについて説明する。
○○蔵書というのはモノとしての本の集合体だ、そして、そこにこそ価値がある。
どこに付箋がはってあるか、線が引いてあるか、どれくらい使い込んであるか、そういったモノとしての本、物質としての本、が提供する情報を得ることができるからこそ○○蔵書には価値があるのだ。
本をデータとして考えるならば、重複があるから廃棄するというのは合理的な態度であり、なんら責められる理由はないかもしれない、しかし、モノとしての本という視点から見ると、桑原蔵書の廃棄は重大な損失になるのではなかろうか、と。
モノとしての本と、データとしての本、この発想が面白く印象に残った。



3章の副題は『「蔵書を図書館に寄贈するよりも、古書店に売るほうがいい」と考える理由』となっている。その理由として図書館に余裕がないという事もあげられているが、それだけでなく、現代はネット時代なので、古本市場に本が回れば、欲しい人必要な人の手に渡ることになる、むしろ図書館に寄贈するとそのまま死蔵されていつまでたっても、その本が陽の目を見ないという事になりかねない、という理由をあげており続けて、「ネットが普及してから、本を所有する意味が変わったように思います。」(P22)とある。
確かに、これは同感。
ネット時代においては所有する事の意味が変わってくる。例えば音楽がそうだけれど、わざわざCDを買うというのは、いまやコレクション的意味合いが強い。それかあるいは、お布施的意味合いか。
本というのも、多くは電子書籍化されているし、そうでなくとも、欲しければネットで検索して注文すればよい。
だから、本を手放すことに対しての心理的抵抗はかなり薄れたというのがある、欲しいと思えば検索すればよいのだから。



他にも、新刊書店、古書店、図書館はそれぞれ役割が違うのだから、図書館が新刊書店の真似をしなくてもいいだとか、今言われている出版産業の危機は、ビジネスの失敗に過ぎないのではないか、など、なかなか面白かった。
50ページ弱にしては中身が濃く印象に残る内容で、このシリーズはきちんと読んでみたいと思ったね。

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