・この本は決して悪意を持って書かれたわけではない。

書名どおりの内容、イスラム教という、我々日本人とは違った論理で動く存在を解説した本。
『イスラム教徒は「イスラム国」を否定できない』、『自殺はダメだが自爆テロは推奨する不思議な死生観』など、目次を眺めるだけでも刺激的でワクワクさせる。しかし内容はというと、わりと淡々とした文章で、ひたすら事実が積み上げられてゆく。その筆致は学者というよりもジャーナリストのようだ。
我々日本人から見れば「不思議」としか言いようの無いイスラム教の「論理」は、宗教に対してあまり関心の無い人が読んだ場合、あまりにも刺激的かもしれない。しかし、宗教は平和で穏やかなものという現代日本人の認識は、あくまでものの見方のひとつであって、決して正しいというわけではない。
結局のところ、我々には我々のものさしがあり、彼らには彼らのものさしがあるという事だ。この本をヘイト本であるなどというのはそれこそとんでもない事であり、そういった認識こそがイスラム教に対するヘイトではないか。なぜなら、それは我々のものさしで相手を一方的に測ることに他ならないからだ。彼らには彼らのものさしがあるわけで、それを忘れてはいけないだろう。



・世の中には根本的に理解できない人間がいる、でもそれは当たり前のことだ。

この本を読むとやはり、世の中には根本的に理解できない、OSレベルで違う人間が存在するんだなという、当たり前の事実に気付かされる。
かつて、神話に対して興味を持ったころ、どんなもんかと思って旧約聖書(読み易い再話本)を読んでみたらあまりにも異質な世界だったのでドン引きしてしまったことがある。世の中には、根本的に違う人間がいるもんなんだなと、深く感心したものだ。
ちなみに、聖書神話のドン引きエピソードベスト3はこれ。

1位 エジプトを襲った十番目の災厄
2位 ヨシュアが都市をズタボロにする件
3位 父親が息子を祭壇に捧げるやつ



この本を読むと、イスラム教というのも相当に理解しがたい異質な他者だという事がよく分かる。まあ、根っこは同じだから一神教が理解しがたいだけなのかもしれないが。
ともかく、この本を読んで考えさせられたのは、他者を理解するといことの難しさ、あるいは、他者を理解してしまうというのはちょっと危ない事なのかもしれないな、という事だ。
どういう事かというと、結局、人は自分の中に持っている物差しでしか他者を測れない、だから、理解するという事は逆に言えば、自分の持っている物差しに無理矢理相手を合わせてしまうという事かもしれないわけだ。理解してしまう事の傲慢さ・理解する事の軽率さ。
逆に言えば変に理解しよう寄り添おうとせずに、この本の著者のように、違うものは違うもの、理解できないものは理解できないものとして把握する、そういった営みこそ実は、他者理解の最初の一歩なのかもしれないな、と。
世の中には、自分の物差しで測ることのできない異質な他者が存在する、そんな当たり前の事実に気づかされる本。異質なものを理解する事の難しさについて考えさせられる。

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