カラスっぽいブログ

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教科書的なというかモロ教科書な本。
大学の講義で使う事を想定して作られた本なので、一節一節の長さがちょうどよく、長さ的な意味で読みやすい。内容も、基本的には基礎知識の伝達に重きが置かれているため、あまりマニアックな内容に偏することはない。それに、教科書といっても、だらだらと史実を積み重ねるようなタイプの冗長な叙述ではなく、テーマごとに叙述するというタイプなので、読みにくいという事はないし、興味のあるところから読むというスタイルで読み進めることができる。
教科書ではあるが、一応読み物としても合格という感じの本で、すごく面白いという事はないが、だからといって読むのが苦痛というわけではなく、基礎知識を摂取したり事実を確認するうえでは十分役に立つと思う。と言っても、それでもまだ、固有名詞多すぎかな?、と思う部分はある。
これが、古代ギリシャのようなある程度予備知識のある時代だとさして気にならない、しかし、古代エジプトや古代オリエントといった、あまり知識のない時代だと、固有名詞の多さに辟易することがあり、ここはもう少し何とかして欲しかった。

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要するによくある外国人の日本体験記あるいは日本文化論であり、似たような書物は中身の薄い本であれ濃い本であれ、少なくて探すのに困るという事はなくむしろ、1ジャンルをなしているといってもいい。
こういった内容の本は外の目から日本の特異性をあぶり出し読者に提示するという面白さがあり、それはそれで魅力的だが、ある程度こういった本を読むと、外国人の驚くポイントがそこそこ予想できるようになってしまい、類書を読めば読むほど驚きも発見もなくなってしまうというのがある。
もちろんだからといって面白くないという事はなく、日本のもつ特異性と普遍性を確認するという意味では面白いし、著者独自の見解や新しい発見に出会うこともあり、決して読むのが無駄とは思っていない。
ただ、新鮮な驚きというものにはなかなか出会えないし、外国人が日本に対して持つ驚きや感想というものも、ある程度予想はついてしまうので、凡庸なものを読まされると、ふ~んとしか思わなかったりする。

この本も著者独自の見解やオリジナリティ溢れる発見があるかというとそうでもなく、コミュニケーションの違いにしろなんにしろ、きっと外国人ならば戸惑うだろうなという事に戸惑い、そして、問いや疑問を発している。
そういった意味で、文化論あるいは日本論として印象に残ったわけではない。レベルが低いというわけでは決してなく、それなりに読み応えがあり、先輩からものを借りるときに私物だといわれて借りたのをその意味がわからず、うかうかと長期間借りてしまい、友達から注意されてやっとその意味がわかった、などというくだりは非常に印象に残ったりする。
ただ、これもよく言われるような、空気あるいは場の文脈に過度に依存した日本式コミュニケーションがもたらすカルチャーギャップであり、例そのものが新鮮で面白かったわけで、外国人が日本式のコミュニケーションに戸惑うのは想定内といえば想定内の出来事だ。

この本の魅力は日本文化論の部分にあるのではない、十分そこも魅力的だがしかし、この本の本質は一人の女性の書いた異文化体験記であり、魅力と価値はそこにこそある。
何よりも好感を覚えたのは、作中で発せられる疑問にしろ感想にしろきちんと地に足がついていて上滑りしていないところだ。
それはもちろん体験に基づいているからといえばいえるが、理屈やイメージや先入観を振り回さず、自分の感じたこと経験した事から「なぜ?」と疑問を発し、演繹的に考え記述されているからこそのものだろう。

この本は、外国人が見た日本を描いたというよりもディオンが見た日本が描かれており、それこそがこの本の価値であり個性である。文体と内容から著者の人柄が見えるところこそこの本の最大の魅力であり、読み終わった後は誰しもが著者の飾らない人柄に対して好感を抱くだろう。
できればこの人の書く文章をもっと読んでみたい、岩波はもっとこの本を宣伝するべきだろう。


著者に対するインタビュー
『東大留学生ディオンが見たニッポン』のディオンさんに聞く、留学のすすめ

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辻邦生の背教者ユリアヌスはいつか読もうと思っている歴史小説のひとつなのだけれど、この著者は若い頃にそれを読んで大きい感銘を受けこの研究の道に踏み出した、という人らしい。
いつか読む予定の辻邦生作品の予習で読んでみたというのもあるけれど、それ以上に興味深いと思っていたのは、キリスト教が国教化した後の時代にもかかわらずわざわざ異教を復活したという、空気の読めなさというか、何をやりたいのだこいつは感だ。
一言でいってしまえば反動という事になるだろうし、わざわざ歴史の針を逆に進めるようないまいち建設的とは言えないイメージを持っていて、けれどもしかし一方では、あえてキリスト教にノーを突きつけるその姿勢にはちょっとだけ萌えるものもあったりする。
まあ、たいした知識もないし、そもそもキリスト教を国教化した皇帝の名前も知らないくらいで、さして知識があるとはいえない。だから、要するにイメージといえるようなものもなく、ただ漠然とした興味、街中で見かけたちょっと変わった人に対して、この人はどんな人なんだろうという、その程度のものしか持っていないといえばいえる。

さて、この本の副題には『逸脱のローマ皇帝』とある。
著者はユリアヌスをローマ皇帝のスタンダードから逸脱しまくった存在として描く。
ユリアヌスは宗教的思想的側面から光を当てられることが多いらしいが、この本はあえて彼の統治者としての側面から光を当てていくと著者は述べている。
背教者としてのユリアヌスではなく、皇帝としてのユリアヌス、がこの本の眼目らしい。
おかげで、ユリアヌス初心者の自分でもサクサク読み進めることのできる手軽でコンパクトな良質な伝記に仕上がっていると思う。
宗教的側面に片寄ることなく、生い立ちから死まで、皇帝としての軌跡を描く事に傾注しており、大変読みやすい、生涯が短いからというのもあるが。

この本を読んで持ったユリアヌスに対する印象は、実務能力を持ってしまっている哲学青年、という感じだ。
実務能力のさっぱりない哲学好きの引きこもりだったならば、むしろその方が長生きできて、そこそこ幸せに暮らすことが出来たんじゃなかろうか、という気がする。
また、野心家であると同時に理想家でもあって、哲学的な生き方を民衆に強要しようとするところなんかは、何だかんだ言ってもやっぱり哲学好きの人間なんだな、と。ホントに優秀な政治家ならばそんなアホな事はしないだろうになぁ、と、思ってしまった。
まあそういうところがお茶目というか何というかこの人物の魅力でもありまた、悲劇性を喚起する所以でもあるのだろう。

『背教者ユリアヌス』の予習のつもりで読んだけど、既成のユリアヌス像、特に辻邦生的なユリアヌスに対して少しばかり異を唱えるというスタンスなので、むしろ『背教者ユリアヌス』を読んでからのほうが楽しめたんじゃないか、という気がする。読む順番間違ったかな?
といっても薄っぺらい本で手軽に読めるので、『背教者ユリアヌス』を読了したあとにもう1回読んでみようかな、と思っている。その時はどんな感想を抱くのか、そして、自分の中のユリアヌス像がどんなイメージになっているかが、楽しみだ。

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読後感の悪い傑作。読後感が悪いというと、なんだか作品を貶しているように聞こえてしまうがこの場合褒め言葉である。絶望的とも言える真実に対面した時の圧倒的ともいえるムナクソ感こそがこの作品の醍醐味であり、こういったタイプの独特な読後感も世の中にはあるのだなあ、と思った。後味が悪いというのとは違い、潔いといってもいいくらいに救いの存在しない、晴れやかなといっても過言ではない圧倒的な絶望感は、後味が悪いなどという中途半端なものではなくて、むしろ気持ちがいいくらいに吐き気がする。再読ではあるけれど、ほどほどに記憶が欠けていたおかげで素直に楽しむことができたし、前以上に楽しむことができた。間違いなく傑作。

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