カラスっぽいブログ

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いや~いいもんですね、タイトルどおりの作品でした。
普通妹ものというと、近親愛じみたものが普通だが、この作品における兄妹はそういったものを微塵も感じさせないごくごく普通の兄弟として描かれる、何よりもそこが新鮮で、印象に残った。

13歳のJCが妹なのだがどちらかというと活発で外向的な性格として描かれる。
お兄ちゃんに対する扱い方は尊大ではっきりいって生意気なのだが、そこがいい。
活発で生意気な癖して、人見知りする部分もあるというのが、圧倒的な萌えポイントで、なんかもう普通に可愛いんだよね。
もちろん、先にも述べたように近親愛じみたものはまったくなく、あくまで、そこらにいそうな普通の兄妹なんだけど、なんだかんだいって、妹はお兄ちゃんのことが好きだったりする。
そして、その「好き」が決してあざとくもなく性的でもなく普通の「好き」であるというところが、時たまさりげなくチラッと描かれるという非常に禁欲的な作風なのだが、そのチラッと見せるセンスとバランスが、この作品を優れたものにしている。

普段あまり4コマは読まないけれども、こういう作風の作品はどんどん読んでいきたいなって思ったね。
近親愛上等な妹ものにちょっと辟易してるとか、たまには普通の兄妹を愛でたいなという人にお勧めの作品、たまにはこういう妹も良いものです。


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二階堂蘭子シリーズは吸血の家から発表順に読み始めたのだけれど、短編長編含めて今までのところこれが一番面白かった。
このシリーズは、実に本格らしい本格と言うか、いかにも探偵小説という感じの直球の作風で、いかにもな探偵小説を読みたいと言う欲求に全力で答えてくれるのが好ましい。
この作品も、見立て殺人からはじまり宗教やオカルトに関する薀蓄、そして怪しげな館に住まう一族と、いかにもそれっぽい要素がふんだんに散りばめられている。

蘭子シリーズを今まで読んできて思ったのは、ミステリとしてしっかりしていると言うだけでなく、物語としてもしっかりしているという事だ。
ミステリ小説としてはもちろん充分合格な上に、それだけでなく、物語としても十分面白いというのが、このシリーズに対して好ましく思っている理由だ。
ときたま、ミステリとしては面白くても、物語としてはまあまあだったりする作品というのに出会ってしまったりするものだが、この蘭子シリーズは、両方の基準を余裕でクリアしている。

ミステリとして面白いだけでなく物語としても面白いものを、というのが、自分がミステリに求めているものなので、どうやらこのシリーズは自分の好みに合致しているようだ。
もちろんミステリオタクにとっては、物語として多少アレでも、ミステリとしての完成度が高ければそれで充分という事になるのかもしれないが。
自分の場合、確かにミステリは好きだが、ミステリオタクを名乗るほど好きではないと言う感じで、ただのファンに過ぎない、従って、あまりにガチガチのミステリ作品を読むとちょっとだけ引いてしまったりすることもある。
その点、この蘭子シリーズは色々な要素(ミステリとしての要素、魅力的な物語としての要素、そしてキャラ萌え)を豪勢にぶち込んだうえで非常にバランスの良い物語に仕上げており、ミステリ作家である以前に小説家としての腕の確かさを感じさせる。


さてこの『悪霊の館』だが、一言でいうと、二階堂風グリーン家殺人事件である。
なので、あの作品が好きなひとは何も言わずにさっさと読むべきである。
僧正殺人事件とグリーン家殺人事件なら後者を選ぶ人間なので、この作品には結構満足した。
殺人事件そのものの猟奇性や派手さもさることながら、舞台となるアロー館の雰囲気、うさんくさい登場人物、そして、読者に恐ろしさを感じさせる真犯人とその動機、そういったものから形作られる雰囲気の禍々しさが、何よりも心地よい。
これは魅力的なミステリである前に一流の物語であり、本格ミステリを敬遠しているような人にも読んで欲しいと思う。



井沢元彦が書いた宗教に関する入門書二冊の合本。
(『ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座』と『仏教・神道・儒教集中講座』を合本し、加筆・修正)

二冊とも前に読んだことがあるので、この本を読むのは再読ということになる。
この本に限らず、井沢元彦の本はよく読むし、再読という事もあり。そこまで目新しさは感じなかった。
もちろん、井沢元彦をはじめて読む人あるいは、宗教に関する知識が無い人は、きっと新鮮な気持ちで読み進めることができるだろう。
なにしろ、この人の宗教に対する解説は、抜群にわかりやすい。
歴史的経緯を踏まえつつ、他の宗教と比較する事により、その宗教独自さをあぶりだす。
文章そのものが平易でわかりやすいというのももちろんあるが、他の宗教と比較したり、歴史的経緯を踏まえて解説したりといったアプローチそのものが優れているというのも、わかりやすさの理由だろう。

さて、この本では六つの宗教が扱われている。
仏教、神道、儒教は、それぞれ章を立ててあるが、それに比べ一神教であるところのユダヤ・キリスト・イスラムは、やや変わった扱われ方をされている。
まず1章では、この三つがまとめて解説されている。
章タイトルに「一神教の世界はこうなっている」とあるように、ユダヤ・キリスト・イスラムを個別に解説するのではなくて、三つまとめて時系列順に解説するというやり方が、たいへんわかりやすい。
そして次の章ではうってかわって、章タイトルに「一神教それぞれの言い分」とあるとおり、それぞれの宗教の代弁者に対するインタビューが始まる。
このインタビューが抜群に面白い。
前に読んだときも面白いと思ったものだが、今回改めて読み返してみて、やっぱり面白かった。

インタビュアーの井沢元彦がいい意味で空気を読まないというか、
あの人たちはこんなこと言っているけど、ねえ今どんな気持ち?、
見たいな感じで、聞きにくそうな事をズバズバ聞くので見ていて面白い。
再読して改めて思ったけど、やっぱこの三つの一神教の関係ってのは色々と難しいんだな、ということ。
これが、仏教・神道・儒教だと、基本べつものだからいいんだけど、この三つの一神教は、ある意味家族みたいな関係にある、だからこそ難しい。
思ったけど、あんまり無理して理解し合おうなんて思わないほうがいいのかもしれないね、
人間話し合えば必ず理解しあえるなんてのは、あくまで幻想、あるいは信仰のようなものだと思う。
お互い距離をとって関わりあいにならないほうがいいんじゃない?、なんて思ってしまう。





以下、印象に残ったところを引用。



『キリスト教の言い分』より

『内容について念を押したときに、文字の上ではわかりませんが、じつはロバートソン氏が色をなしたところがありました。
 すなわち、アッラーとキリスト教の神は同じものかと念を押したときです。彼は「断じて同じものではない」と言いました。』(P108~P109)

これはかなりショック!
キリスト教の代表的意見ではないかもしれないが、アメリカで人気のある宗教指導者は、こういう風に考えているという事だ。
アメリカ人のイスラム教に対する認識ってのは、こんなもんなのか、と。



『ユダヤ教の言い分』より

『メシアとは、世界に完璧な平和と幸福をもたらす救い主を意味します。メシアがまだ来ていないことは、窓の外を眺めればわかります。イエスの時代にも、今の時代にも、「メシアがすでに来た」と信じることは理に適いません。』(P120)

これは確かにその通りだよね、すげー納得する。
そりゃそうだよなって感じ。


『キリスト教の、とくに福音派がユダヤ人(ここではユダヤ人とユダヤ教徒はつねに同義であると考えていただいてよい)を助けているのは、イエスはキリストであって、最終的にはキリスト教が正しく、誤った考えを持つユダヤ人たちをそれに改宗させるのが目的です。
 これはユダヤ人の側から見ると、まるで『ヴェニスの商人』のシャイロックが要求されたのと同じようなことを要求されるわけですから、不純であり、協力できないという形になるのが普通ですが、トケイヤー氏は利用できるものなら利用すればいいという考え方を示されました。もしそうしたことが起こるにしても数百年後であって、それまでの間は充分に利用すればいいのではないかという考え方には、まさに改めてユダヤ人のしたたかさを思い知らされました。』(P172~P173)

これはしたたかっていうか合理的な考え方だけど、中々ここまで老成した考えには至れないと思う。
少なくとも自分が同じ境遇にあったときに、果たして同じような考えを抱けるかどうかと言えば、かなり難しい。
そういう意味で、ユダヤ人ってすげぇなと思った。(小並)



『イスラム教の言い分』より

『私も言われてみて初めて気がつきましたが、イスラム教にはこの世で起こっていることは全部神様の思し召しであるというカダル(天命)の考え方があります。
 もし神がすべてイスラム教になるべきだと考えているならば、今の世界はすべてイスラム教徒になっている。そうなっていないということは、それも神様の思し召しである。つまり、他の宗教にも存在意義があるということになるわけです。』(P216)

これはすごく納得できる考え、この直後に井沢元彦も書いているけれど、みんながみんなこういう風に考えるようになるならば、争いも少なくなるのにねって思った。
良い考え方であるというだけでなく、非常に説得力のある考え方であるところが素晴らしいし、圧倒的な説得力を持っている。
この考え方が、この本の中では一番印象に残ったな。



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井沢元彦の儒教にたいする考えの「まとめ」のような本。
正直言って、いままでに井沢元彦の歴史書を読んできた身からすれば、特に目新しい部分は無く、今までの本で語られた儒教に対する見解をわかりやすくまとめた、という印象が強い。
したがって、ここが良いとか、この見解が新鮮だったというのはなく、井沢元彦の儒教に対する考え方をおさらいするという感じの印象だった。

もちろん、井沢元彦をあまり読んだ事が無いという人は、この本を読めば、いろいろと教えられる事が多いだろうし、新鮮な印象を受けるだろう。
そして、儒教や朱子学について知りたいという人にもお勧めだ。
とにかく、井沢元彦という人は、「宗教」をわかりやすく解説させたら抜群に上手い人なので、わかりやすさという点については保証できる。


本の内容についてだが、タイトルとややずれる部分がある。
まず、タイトルに儒教とあるが、この本で取り上げられているのは、古いほうの儒教ではなく新儒教とでもいうべき朱子学のほうだ。
これは著者の解説によれば、
「孔子の説いた儒教ではほのぼのとしていたことを、新儒教はもの凄く極端にしてしまった」(P47~P48)
のだそうだ。

それともう一つ、中韓とあるが、中韓よりも日本の話が多く、全体の3分の2以上を占める。
従って、この本のタイトルを内容に即して名付けるならば、「日本における朱子学の毒」なんかが適当じゃないかな、と思う。
本と中身が若干ずれることは時たま見受けられるが、商売のためには仕方が無いとはいえ、もう少し正確なタイトルをつけるようにしてほしい。



あと最後に、井沢さんがこの本の中で、
「この一連の悲劇を靖康の変(一一二七年)といいます。今はあまり注目されていませんが、今後、中国を変えた大事件としてクローズアップされると、私は確信しています。ぜひ、二〇一七年の時点で井沢がそういっていたとご記憶ください。」(P53~P54)
と書いていたので一応引用しておきます。(笑)



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