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リブレットらしい、一つのテーマに絞って書かれた大変わかりやすく読みやすい本。
タイトルにあるとおり、当時のヨーロッパ人の文明観と、その価値観を支えた啓蒙とは何か、について書かれている。

啓蒙とは何か、という要するに当時のヨーロッパで流行っていた考え方をわかりやすく解説したあとに、非ヨーロッパ世界へ広がり行く膨張するヨーロッパについて解説。
そして、彼らヨーロッパ人の目に非ヨーロッパはどう映ったかを「ガリヴァー旅行記」と「ロビンソン・クルーソー」を用いて描き、最後に、彼らの偏見を科学がどう保障したのか?、を書いて終わる。
話の流れ自体がスムーズな上に、余計な要素がなくすらすらと読み進める事ができる、良著といってよいと思う。

この時代のヨーロッパ、彼らの価値観や文明観に興味がある人は読んでみるべきだろう。
特に、なぜ啓蒙のヨーロッパから植民地主義のヨーロッパへ移行してしまったのか、啓蒙と差別は矛盾しないのか?、という疑問を持っている人はぜひ読むべきだと思う。


啓蒙というと要するに、蒙を啓く、ダメな状態からよりよき状態になる、あるいはさせるという感じで、問答無用のプラスの概念というイメージがあると思う。
たいして差別というのは、啓蒙された人間のイメージからは程遠い、むしろ蒙が啓かれていない状態の人間というイメージだ。
この本を読んでそれこそ蒙が啓けたかも知れないなと思ったのは、啓蒙的な世界観が差別を助長しかねないという事、もっと言ってしまえば、啓蒙と差別は表裏一体かもしれないという事で、自身が啓蒙された段階にあるから差別をしないかというと、そうとは限らないわけだ。
この本を読むと、啓蒙という言葉に潜まされた傲慢さに気付くことが出来る。

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「悪魔」というのは通常実体を持ったものとしてイメージされる事が多い、しかし、この作品の悪魔観は一般的なそれとは違う。

「そう、悪魔は埃に似ています。部屋のなかの埃には私たちはよほど注意しないと絶対に気がつきません。埃は目だたず、わからぬように部屋に溜っていきます。目だたず、わからぬように……目だたず、わからぬように……。悪魔もまたそうです。」(P9)

「まるで埃のように」、これは人間の悪意と言い換えてもそんなに間違ってはいないだろう。
一応ミステリ作品ではあるものの、ミステリという皮を被った他の何かだと思えてしまうのは、おそらく、この作品が悪魔について書かれた小説だからだろう。



ミステリ作品は通常、誰が犯人かという謎が物語を牽引する、この作品も例外ではない。
4人の女医のうち誰が「悪魔」なのか、というのがこの作品における「謎」であり、その謎が読者の興味を繋ぎ、推理させ、物語を牽引し、ページをめくらせる。
読んでいて奇妙に感じてしまうのは、4人の女医のキャラ分けがいまいちできていないというか、見分けにくいところだ。
ある程度個性が設定されてはいるものの、骨はあるけど肉付けに乏しいという感じで、いまいち印象に残らない。
ただ、これも最後まで読むと、きちんとした伏線だったのだなと気づく。

犯人は意外な人物でならなければならない、これはミステリの鉄則だ。
意外な人物でなければ驚きも存在せず、驚きの存在しないミステリなど、果たして何の価値があるのか、という事になってしまう。
そういう意味では、この作品の真犯人に対して意外性を感じることはなく、ミステリとしてはどうかという感想が出てくるのも無理ないことだろう、しかし、自分としてはむしろ、驚きがない事自体が驚きである、と言いたい。
どういうことか。

なぜ真犯人が明かされても驚きがないのか?
それは意外性がないからだ、そしてなぜ意外性がないかといえばそれは、彼女がいかにも犯罪を犯しそうだからではない、4人のうち誰が犯人であっても違和感はないから、だからこそ驚きがないわけだ。
驚きがない事が驚きというのはつまり、心優しい女医たちのうち誰が犯人であっても、一向に違和感がないと思っている自分自身に気づいてしまうという事だ。
だからこそ、この作品には驚きがある、と主張したい。
いつの間にやら、女医の誰が悪魔であろうとおかしくないと、読者に思わせてしまうからだ。



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タイトルどおりに「歴史」がいつごろ発明され、そしてどんな記述をされたかという、歴史記述の変遷と種類を描いた本。

「歴史」という言葉に対して発明という言葉を使ったが、これはおそらく奇妙な言いまわしとして映るかもしれない、しかし、これには理由がある。
昔読んだこの本と似たようなテーマの本で岡田英弘の「歴史とは何か」という本があり、その中で歴史というものは紙や火薬と同じような発明品であり、「歴史」を発明しなかった民族がいてもおかしくない、みたいなことが書いてあって、深く印象に残った。
その本によると、歴史を「発明」したのは古代中国と古代ギリシャ、具体的に言えば司馬遷とヘロドトスの二人であり、それ以外は基本的に真似である、と。
例えば日本は中国に対抗するために歴史を必要としたし、イスラムはキリスト教圏に対抗するために必要とした。
だから、必要としない民族がいてもおかしくないし、歴史を持たない民族がいてもおかしくない、と。



「歴史意識」とは要するに何故歴史を必要とするのかという動機のことであり、「歴史記述」とは動機に応えてもたらされた記述のスタイルの事だ。
もちろん、「歴史意識」が違えば必然的に「歴史記述」も違ってくる。
この本では意識と記述、このふたつをセットで語ってくれるのでたいへんわかりやすい。
もちろんリブレットで薄い本なので、正直言ってもの足りないという感じはあるが、古代における歴史意識の多様さを、ある程度見渡す事ができる。

特に印象に残ったのは、②メソポタミアとエジプト、におけるもうほんとに萌芽って感じの歴史記述の紹介、これが面白かった。
例えば、出来事で名をつけるってのが、どうやら最も古い歴史記述の形らしい。戦争があった年、とか、疫病があった年、とか。
それが少し発展すると王名表って言って、王が即位してから一年ニ年と数えるようになったりする。
そして、この王名表も地域によって違いがありそれぞれ個性があるというのが面白い。


あんまり、こういったテーマを描いた一般向けの本って見かけないので非常に興味深く読み進めることができた。
分量が薄いのでややもの足りないという感じはあるが、こういったテーマに対する入門書としては充分合格だと思う。
地域ごと文明ごとに、このテーマで一冊ずつ本を出して欲しいと思う、できればリブレットで。



分かり易い紹介と要約
『歴史意識の芽生えと歴史記述の始まり』 たかぱんワイド



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読み終わってからネット上の感想を読むまで、子供向けに書かれた本だとは気づかなかった。それほどまでにこの作品の本気度は高く、いい意味で大人気ない一作となっている。何よりも、子供相手にこういったシリアスで今日的なテーマを容赦なくぶつけるというその姿勢に敬意を表したい。そして、子供相手に本気で書いているというだけでなく、ひとつのミステリ作品として見ても充分優秀で、読むに値する作品だ。

この作品は、作者の得意とする市井の小さな英雄を描いた作品である。それと同時に、歴史に翻弄された人間を描いた作品でもある。
島田荘司はこういった歴史に翻弄された弱者を描くのがうまい。歴史の大きな波の前では頭が良かろうと優秀だろうと何だろうと、たいして関係ないのだなと思わせる。
「透明人間」という言葉に託された意味も最後に明らかになるのだけど、これがまた哀しい。なんともいえない読後感がある。哀しい気分になる。
子供向けの本なのに、こんな哀しい話、それも現代的な社会派テーマを真っ向から書いて勝負する作者には、いい意味でなに考えてんだコイツ、と思ったぞ。

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