カラスっぽいブログ

感想置き場、基本ネタバレなし リンクフリー

この「リンクメモ」は名前の通りリンクとそれに対する感想をメモったものである。岩波ジュニア新書のインターネットに関する本を読んでいたら、最初期のブログはメモ付きリンク集みたいなものだったという記述があり、それが原因で思いついた。



朝日新聞デジタル 新井紀子 2019/10/11 2019/10/13に読む
AIとソ連の「もしも話」から、二つの意味が引き出される。ひとつは、AI技術の目標と、全体主義・計画経済はよく似ているということ。もうひとつは、質を量で測ることの危険性。幸せを数字で表すことはできない。



東洋経済ONLINE デービッド・アトキンソン 2019/10/03 2019/10/16に読む
日本人に足りない「要因分析」をすすめた結果、現在の停滞の原因は1964年にあるとの驚きの結果。この年から「衰退」がスタートしたのだという。衝撃的な見解だが、高度成長を人口増加だけで説明するのは疑問。



AERA 2019/10/15 2019/10/18に読む
日本人を苦しめる「嫉妬」の念。世の中には、きちんと出席しないのに成績がよいのは「ずるい」と、教師に訴え出る生徒もいるのだとか。宗教が弱体化した結果、人間の自己絶対化が進んだという、宗教家の見解が興味深い。



現代ビジネス 御田寺圭 2019/10/19 2019/10/21に読む
「ジョーカー」が君臨することになったのは「結果」であるという考察。「ジョーカー」は悪の原因ではなく、「結果」である、と。社会に包摂されない弱者が世の中には存在する、と。



「人を助けず、立ち去れ」が正解になる日本社会
PRESIDENT Online 御田寺圭 2019/10/21 2019/10/22に読む
トロッコ問題に対して現代社会が出した答え、それは「現場から立ち去る」ではないか?岩国トロッコ問題は現代日本の挑戦に伴うリスクの大きさを象徴している、と。



巨乳の炎上に見る進化と文化のミスマッチ
本しゃぶり 骨しゃぶり 2019/10/22 2019/10/23に読む
女にとっての「巨乳」は「股間」ではないかという説に対する反駁。女性が「心が通じる有能なイケメン」が好きであってもそれは本能に従っているだけで男と大差ないのではないか、と。そして、そういうものがただ単に炎上しにくいだけでは、と。



「負の性欲」はなぜバズったのか? そのヤバすぎる「本当の意味」
現代ビジネス 御田寺圭 2019/12/9 2019/12/9に読む
「キモい」という言葉に対するカウンターとしての「負の性欲」。理性を性欲であると言明されてしまったのが、一部の人間にとっては腹が立つらしい。また、話を性淘汰の話にまで広げているのが面白かった。



レッズ・エララ 神話体系 残響 2019/10/19 2019/12/31に読む

幸か不幸か、SNSと相性が良すぎる人間というものがいるらしい。一般的に言って相性が良いことは良いこととされている、しかし、Twitterと相性が良いという場合、無邪気に良いとは言えないのかも知れない。
カラスの場合、幸いにもTwitterとの相性は悪く、ほとんど発言することもなく、リツイートといいねを押すだけといった趣だ。だから、Twitterに生活を喰われてしまうという感覚はわからないし、ここにあるような、『「SNSの仕様そのものに疲れた」』とか『「SNSで、自己が分裂していってしまう自己嫌悪」』という感覚そのものがわからない。
わからないということはおそらく良いことなのだろう、そして、わからない人間には批判する資格などあるまい。それに、趣味に打ち込みたいという優先順位の問題であるならば、他人がとやかく言う問題ではない。しかし、それでもやはり、ちょっともったいないなと思ってしまう。ネット上にあげたものはなるたけ削除するべきでない派、なのでね。

「●さいごに」の中に興味深い記述がある。
「消滅」を恐れなくなったというのだ、これはちょっと羨ましい。自分は残念ながらそういった境地にはほど遠く、自分が死んだ後もどうにかこうにか、この世に対する痕跡が残ってくれればいいなあと、恋々としている有様。
とてもではないがこういった風な悟りきった境地には至れそうにない。



現代ビジネス 御田寺圭 2020/1/23 2020/1/26に読む
重い記事。いわゆる植松理論に対して反論することの難しさを、淡々と述べている。多かれ少なかれ誰であれ、皆有用性というもので人を判断していないか?こう問われたときに、否定することはとても難しい。



東洋経済ONLINE 角田陽一郎 2020/3/1 2020/3/2に読む
本好きが本嫌いに、なぜ本を読まないのか、その理由を聞いてみた記事。上から目線ではなく、あくまで純粋な好奇心の赴くままに聞いているのがよい。
本嫌いのA氏があげる、本を読まない五つの理由だが、最初の三つは予想通りでさして驚きはない。つらい・時間がかかる・楽しくない、いずれも想定内だ。しかし、四つめと五つめは想像のはるかに斜め上をいっている。
曰く、「書き手が知らない人だから」・「ネットのほうが便利だから」だそうだ。この発想はなかった。特に、本の内容に関して知りたければまとめサイトをみればよい、という発想には唖然としてしまった。



栗ティーク21のブログ 栗ティーク21 2012/1/21 2020/3/9に読む
福沢諭吉と大村益次郎が議論をしていたというのは初めて知った。あんま接点が無さそうな二人だったので意外。「大村(村田)が憤慨したのは当然だと思う。」とあるが、なるほど確かに。「どこか他者の心情に対する鈍感さを窺わせるのである。」とあるが、そういった福沢諭吉の空気の読めなさが印象に残った。



栗ティーク21のブログ 栗ティーク21 2012/2/1 2020/3/15に読む
與那覇潤の「日本の中国化論」についてはどこかでチラッと読んだことがあり、その時はいまいちピンと来ないなあというもやっとした感想を抱いたにとどまったが、この論考を読むと自分の抱いた違和感が明晰かつ的確に言語化されており、膝を打った。特に『「中国的な民主主義」という言葉自体が形容矛盾なのである。』という指摘に激しく同意。
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microUSBは物理的な意味での耐久性にやや難があり、かつてとある端末のmicroUSBをダメにしてしまったことがある。何かよい解決策はないかとヨドバシでふらついていたところ出会ったのが、USB Type-C用のマグネット脱着式ケーブルである。Type-C用があるならばmicroUSB用もあるだろうということでヨドバシドットコムで検索したところいくつかヒットしたが、その中でこの製品を選んだ。なぜこの製品を選んだかはもう覚えていないが、恐らくマグネット部分の形状で選んだのだろう。現在使用しているUSB Type-C用のケーブルの脱着部分の形状が楕円形なので、それと似たような形状を避けた結果、この製品を選んだものと思われる。そんな経緯で購入したが、この製品、とても重宝しており買って良かったと思えるアイデア商品である。やはり、何となくヨドバシをふらつくという楽しみはなかなかやめられそうにないのだ。
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専門的なアレではなくて、初心者向けにプログラミングの概念を伝える内容っぽいなと思い購入。雑誌なのであまり分量は多くないものの、プログラミング入門と言うよりも、プログラミングのイメージを実例を通して伝えるという内容で結構満足した。まさにこういう本が読みたかった、面白かった。プログラミングとは論理そのものであり、国語とプログラミングの関係はどうなのか、とか、教育におけるプログラミングの効用、といったテーマにも興味が向いたので、いつか特集して欲しいなと思う。
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普段本を借りるときは事前にネットで予約して取りに行くだけで、図書館をふらふらすることはめったにないのだけれど、たまたま気が向いて、返却のついでになんとなく本棚の間をふらついていたら見つけた本。
多摩デポブックレットというまったく聞いた事のないローカル臭あふれるシリーズの12冊目らしいが、おそらく、本屋にはなかなか置いていないようなタイプの本だろう。
こういうタイプの新刊書店でも古書店でもなかなか見かけないようなマニアックな本に出会えるというのは、図書館のよいところだろう。これからは、適度に、図書館の中をふらつきたいと思う。

発行に、共同保存図書館・多摩とあるように、このブックレットは図書館が発行するシリーズらしい。
講演の記録で、50ページ弱。その内容はと言うと、図書館だけではなく、「本」にまつわる題材を手広くそしてわかりやすく適切な分量で語っており、ページパフォーマンスにすぐれた中身のある本だった。



桑原武夫蔵書廃棄問題から、話は始まる。
桑原武夫の蔵書が寄付されたものの、色々あって廃棄されてしまった、そして、その理由というのが、「桑原蔵書が市の図書館全体の蔵書と重複するところがあったから」(P5)だという。
ここから話は展開され、著者は、モノとしての本とデータとしての本の違いについて説明する。
○○蔵書というのはモノとしての本の集合体だ、そして、そこにこそ価値がある。
どこに付箋がはってあるか、線が引いてあるか、どれくらい使い込んであるか、そういったモノとしての本、物質としての本、が提供する情報を得ることができるからこそ○○蔵書には価値があるのだ。
本をデータとして考えるならば、重複があるから廃棄するというのは合理的な態度であり、なんら責められる理由はないかもしれない、しかし、モノとしての本という視点から見ると、桑原蔵書の廃棄は重大な損失になるのではなかろうか、と。
モノとしての本と、データとしての本、この発想が面白く印象に残った。



3章の副題は『「蔵書を図書館に寄贈するよりも、古書店に売るほうがいい」と考える理由』となっている。その理由として図書館に余裕がないという事もあげられているが、それだけでなく、現代はネット時代なので、古本市場に本が回れば、欲しい人必要な人の手に渡ることになる、むしろ図書館に寄贈するとそのまま死蔵されていつまでたっても、その本が陽の目を見ないという事になりかねない、という理由をあげており続けて、「ネットが普及してから、本を所有する意味が変わったように思います。」(P22)とある。
確かに、これは同感。
ネット時代においては所有する事の意味が変わってくる。例えば音楽がそうだけれど、わざわざCDを買うというのは、いまやコレクション的意味合いが強い。それかあるいは、お布施的意味合いか。
本というのも、多くは電子書籍化されているし、そうでなくとも、欲しければネットで検索して注文すればよい。
だから、本を手放すことに対しての心理的抵抗はかなり薄れたというのがある、欲しいと思えば検索すればよいのだから。



他にも、新刊書店、古書店、図書館はそれぞれ役割が違うのだから、図書館が新刊書店の真似をしなくてもいいだとか、今言われている出版産業の危機は、ビジネスの失敗に過ぎないのではないか、など、なかなか面白かった。
50ページ弱にしては中身が濃く印象に残る内容で、このシリーズはきちんと読んでみたいと思ったね。

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